私を見ないで。でも、桜は見よう。
私は緊張しいだ。友人の9割が「うそやーん」というだろうが、1割は「あー、だね」といってくれると思う。全方向的に緊張するのとは違い、自己PRとか、面接とか、愛の告白とか(そりゃ誰だって緊張するか)、自分自身のことを話そうとすると、途端、すべてが真っ白になって言葉がでない。そうこうしていると頭に血がのぼり、涙がぽろぽろ流れてくる。これまで幾度となくそういうシーンがあったので、余計に苦手意識(トラウマ)があるのかもしれないけれど、随分と大人になった今でも相変わらずだ。
合わせて、自分自身に目が向けられるのもダメ。居心地がみるみる悪くなり、消えてしまいたくなる。話題の中心にいたくないし、褒められるなどもってのほか。もう、私なんぞにかまってくれるな、と逃げ出したくなる。また、コミュニケーションの基本とされている「人の目を見て話す」も苦手。見る方も、見られる方も。緊張しいも相まって、必要以上にドギマギして早口になってしまう。話は逸れるが、私は瞳(眼球)の色が薄い。「カラコン入れてる?」と他人から指摘されるくらい何かしら引っかかる(目に付く)ようで、(見てないのに)すごく見られている感じがするらしいのだ。「カナちゃんと目を合わせると、心の奥底まで見られているような気になる」といわれたこともあった。魔女かよ! 無駄に圧力をかけてしまって申し訳ないので、なるべく目は合わせません。
よって、カウンターが好きだ。高級寿司屋やバーなど「常に見られてる感ありあり」な店ではなく、ガチャガチャ賑やかで「多くの酔っ払いの中の一人」としていられる店の方がいい。目を合わさなくていいので、心なしリラックスして話せるし、相手の顔色をうかがわずにすむのも好都合。若かりし頃のデートは、可能な限りカウンターだった。正面からガシッと向き合うんじゃなく、隣にふわっと気配を感じているぐらい方が心地よくない? ま、これは個人的嗜好の問題か。
カウンター、カウンター書いていたら、そんな店に行きたくなった。あー、焼き鳥が食べたい、ビールが飲みたい。でも、そうもいかない情勢になってきた。4月、一年でもっとも街が色づくとき。朝のランニングコースを変更し、福岡城跡の展望台まで足を伸ばしてみた。毎年この時期はさくら祭りの屋台がずらりと並び、お花見客や中国・韓国からの観光客で午前中でもごった返している。
人、少なっ。カメラ愛好家のお年寄りや通勤途中に寄ったであろうサラリーマン、お散歩途中の中年夫婦などポツリポツリと人がいる程度。展望台の手すりをカウンターに見立て、満開の桜ごしに福岡の街を眺める。こんなに美しい季節をみんなと楽しめなくて残念と思う反面、自然のままの極上の風景を目に焼き付けておかなきゃな、と思った。こんなことがあってはならないからこそ、しっかりと心に刻んでおこう。「こんな時があったね」と、来年は花見でワイワイしようじゃないか。このおおごとな時が春ってどうよ、と思ったけれど、春だからこそ気持ちが保てるのかもしれない。Let's 散歩!
椿の花、誰が置いていったのかな。なごませてくれて、ありがとう。