大好きな仕事を10年続けたら、自分の人生が見えなくなった。でもまた、大切な何かを見つけた話 ー青野 まさみ、人生ヒストリー
初めまして。青野 まさみです。
私は、かつてサイバーエージェントや博報堂に所属して、大手企業を相手に億単位の広告予算を扱う仕事をしていました。しかしその後、離婚をし、好きだった会社も辞め、孤独で、気力もなく人生をさまようニート状態になりました。そこから少しずつ自分の価値観を捉え直し、フリーランスから法人開業という、起伏に富んだ経験をしております。手放したものがたくさんありましたが、その後に大切な何かをつかみかけた今、日々の暮らしに心からの充足を感じられています。
10年以上にわたる自身の変遷、そして、これから先の未来へ向けた今のリアルな思いを、ここに綴りたいと思います。
1. これを一生の仕事にしたいと思った瞬間(2004年~2006年)
社会人スタートの略歴のお話に入る前に...
友人たちが銀行やメーカーからの内定をもらう中、広告業界で仕事をすることにこだわり、一切他の業界を見ることなく就職活動をしていったのですが、そのきっかけのお話をしたいと思います。
大学時代は、勉学・サークル活動共に、程々な感じで過ごしていました。
ですが、アルバイト先が漫画喫茶だったことと、いろんな場所の本屋にいくことが趣味だったので、様々な本を目にする機会がありました。なんとなくですが、出版社での仕事への憧れも、持っていました。
ある日、書店で小川洋子さんの「博士の愛した数式」という書籍が目に入りました。この本のそばに、書店員さんによる手書きのPOP、そして「本屋大賞受賞!」という文字が並んでいました。
小川洋子さんは、当時はまだ超売れっ子という感じの作家さんではなかった。だから聴き馴染みのない作家さんで、ちょっと意外な選出だったし、この時私は本屋大賞というものを知らなかった。なので、調べました。すると、「全国の書店員さんが選ぶ良書を投票し、書店員が選んだいちばん売りたい本、読んで面白かった本を、選評とともに紹介」とありました。
なるほど。書店員さんが一番お勧めの本なら、間違いなく面白いから、手に取る強い理由になる。何を選んだいいかわからないお客さんにとってもありがたいし、作家さんだって嬉しい。何より、書店員さんたちが選ぶ本当に良い本が売れる。そして、本の流通量を変えることになるかもしれない書店だって嬉しい。なんだこの3方よしの企画は。と感じたのです。
「本が売れなくなっている」という課題を、書店員の力によって変えることができるというこの仕組みに、私は感動したのでした。
そして、誰が考えたんだろうこれは、と調べてみると、当時博報堂に在籍にしていた、嶋浩一郎さんがこの企画を立ち上げたと知りました。関わる人たちを幸せにする。世の中も良い方向に変えられる。こんな仕事ってあるんだ。という驚きと、こんな仕事がしたい!という気持ちになったのを覚えています。
2.圧倒的盲目的会社員の時代(2006年~2015年)
大学時代に憧れたあの嶋さんのいる博報堂に、いずれ入社したい。
その気持ちを胸に持ちながらも、時代を読むとこれから先はインターネットの時代がやってくる。まずは修行のつもりで、インターネットやオンライン広告のことを学ぶため、「サイバーエージェント」に入社しました。会社に入ってからは、本当に、脇目も振らずがむしゃらに働きました。
私自身は、特別にすごい能力や体力があるわけではありません。とにかく努力&仕事することでカバーする日々でした。自分よりも地頭が賢くて、アイディアも優れる、素晴らしい先輩方の後ろを追って今よりも幅広く奥深く、仕事ができるようになりたくて。
そして3年ほど経って、博報堂で働く機会を得て、プランナー・マーケターというキャリアを経て、たくさんの経験を重ねていきました。憧れの人たちのようになりたい。世間から評価される人物に、自分もなりたい。他人からの評価軸が非常に重要だった時期でした。
このような形で10年ほどのあいだ、実に仕事愛に溢れて偏重気味な生活を送りながら、20代後半になる2012年、28歳で結婚をします。お相手は同じ広告業界の、これまでの自分にはない世界観を持っている人。なんとなく輪の中心にいる人。彼は、ナイーブで不器用なところもあるけれどユーモアの花を咲かせるタイプでした。「なんだか毎日愉快に楽しくいられそうだし、共働きにも理解あるし、まあこんなもんかな〜」という感じで、結婚でもするか、という酒の席における彼の一言から、2週間後に入籍を決めました。
今思えばですが、彼と一緒に生きていくと決めた自分。そんな彼と一緒にいる自分なら周りに一目置いてもらえるんじゃないか。結局、他人にどう映る?を気にしていた。そんな気がします。
結婚は日常の継続であり、堅実さが生活の根底を支えるものであるというようなことは、当時の私は気づく由もなく。でした。
3.仕事に疑問&離婚で人生の断捨離、准ニート時代(2016年~2017年)
思い起こせば、結婚までの道のりは決して平坦ではなかった、そして結婚後の生活においても、楽しさ半分と、不安定さ半分でした。
パートナーはもともとが根無し草体質で、チャレンジ精神も相まって、趣味と交流はどんどん広がっていき、安定感・安心感とは距離のある日々でした。お互いのすり合わせがままならないこともあり、時間をかけて少しずつ心の距離が離れていき、浮気行為のこと、さらなる新しいチャレンジ(会社員を辞め山奥の村へ行く)に帯同できないと感じたこともあり、このまま続けていくのは難しい...と自分の中で結論が出て、別れを告げたのでした。
その後半年程は、不安と失意で入り混じり会社の仕事に逃げ込む日々を送りつつ、様々なことがあった東京、そしてこの職場環境(人間関係、この業界)とも距離を置き断捨離をしようと決意、単身で逗子へ引っ越しを決めました。それが2016年の秋。その後年が明け、お正月の日の出やら波の音を聞いているうちに決意が固まって2017年に在籍していた会社を退職しました。
プライベートの変化も相まってだったかと思うのですが、20代にあんなに楽しくて一生懸命だった仕事に対する熱量がすっかり消えてしまい、無味乾燥になってしまった。そして、広告業界の仕事のなかでこれからも長く追求し続けていきたいと思えるテーマがなくなってしまった。
この時は、本当にこんな状態でした。憧れだった仕事、10年ほど続けていろいろな現実が見えました。経済や市場の原理や既得権、20世紀から連綿と続くビジネスの枠組みのなかで成立している部分。それでも、夢や野心を持って仕事をしている同業の方々はたくさんいる。けれど私自身は、嶋さんの企画を初めて知ったときのような、こんな仕事をしたいという情熱は、薄れてしまっていました。
退職をして以降、数ヶ月はぼんやりしながら暮らしていました。家賃を払うために求人情報でアルバイトを探したりもしました。時々仕事はしているものの、家からほぼ出ない。人にも会っていない。うちにこもって、ほぼニートのような状態でした。
偏愛気味だった仕事をやめたので時間に余裕があり、毎日、朝ごはんを作って、テーブルに綺麗に並べて、写真を撮る。という今までしなかったことをして、器の勉強をしたり料理の腕をあげる事が出来たのは、この時期です。今の夫は、私の手料理をいつも喜んで食べてくれるため、人生に無駄な時間など一瞬もない。とつくづく思います。
その後、2017年の後半に、とあるスタートアップ企業に出会って、その日自分のできる範囲だけで仕事させて頂き、帰宅するという日々がしばらく続きます。自問自答しました。働く意味とはなにか。ライスワークとライフワークって?自分の生業とは..?
社会人生活の中で一番、心が死んでしまっている状態だったなと思います。
4. 東京で再始動。スタートアップ勤務(2018年~)
2017年の後半に出会ったスマートキャンプという会社での仕事は、Saas(Software as a Service:サービスとしてのソフトウェア)と呼ばれる様々なプロダクトを紹介しているメディア「Boxil (ボクシルと読みます)」 のマーケティング担当でした。
事業会社の中でマーケターの立場で働くのは初めてだったのですが、課題を解決する施策を考え、実行にうつすことで、売上という成果がすぐ見える。その結果、会社の規模が毎月どんどんと大きくなっていくのを肌で感じられました。すると徐々に、仕事を通じて自分のスイッチを入れられるようになっていきました。秋以降の社内プロジェクト参加によって、誰かの役に立つのが嬉しいということや、自分の施策で会社の売上が増えたことによって仕事に取り組むことのモチベーションを取り戻していきました。
「仕事もだんだん忙しくなって来たし、逗子から通うのは大変なんじゃない?東京に引越して来なよ。」モチベーションゼロのニート状態だった私を救ってくださった社長が、今度は私の引越し費用の立替まで考えて下さったことにより、東京に戻ることになります。2018年の1月、大田区大森にあるマンションを借り、田町の会社へ通う生活をスタートしました。
熱量の高い社長の、ビジネスに対する”思い”を肌で感じて、ではそれをどう実現するかを考えて、実現していく。そして、私のできることで、日々の会社の成長に貢献できることがあるのならば嬉しい。そんな心境でした。
会社では、実際に売上を伸ばすための施策と並行して、ブランディングのための活動をし始めます。
・広報活動&ユーザー拡大の一環で、調査リリースを発行したり、
・SaaS事業を展開する会社4社さんと合同で、200名規模のイベントを企画・運営したり、
※当時の会場の様子です。
・サービスブランディングのために、TVCMを制作して、放映したり、
そんなことを、社内で推し進めていました。担当は私一人。ですが気後れすることも気負うこともなく、社内外の関係各所と話して調整しながら、淡々とやっていました。
ちなみに、このCMに登場いただいたのは、テラスハウスカップルの玉城大志さん・福山智可子さん。お二人を会社に招き、「1日入社体験」をしていただいたのをインスタLIVEで配信し、当時かなり反響がありました。
SaaS系サービスを展開する企業のTVCM、最近ではいろいろな会社さんで実施されているのを見かけるようになりましたね。
5.退職・再婚・転居。自分の変化(2019年~)
一時、仕事に対して全くスイッチの入っていなかった状態から、普通に仕事ができるようになって1年ほど経ち。プライベートでは、2018年に入ってからお付き合いを始めた方と結婚の意志を固めていきました。その彼との暮らしのため東京を離れざるを得ないことから、2019年初め、スマートキャンプを退職することになりました。
その頃はすでに、誰かの思いや情熱 に引っ張られるようにして、周りも動いていき、そこに好循環が生まれている。そんなサイクルの中に自分もいることによって、仕事をまた楽しいと思えるようになっていたと思います。
他人からどう思われようが、好きなことを貫いている人。
自分の夢のために、今やるべきことを一生懸命している人。
会社・組織を通じて、社会へ一石を投じていく人。
そんな人たちと関わっていく中で、私も他人の目を気にし過ぎることなく、自分は自分のものさしとコンパスを持って、自分ができる限りのことをする。自分で「よくやった」と思えるまで手を尽くす。そんなスタンスに変わっていました。スマートキャンプの社長はもちろんですが、組織にいる方々からの影響も受け、自分のマインドをリセット出来て、そういう方向に漕ぎ出す事が出来たと思っています。
環境と気づきを下さった、これまでに関わりがあった全ての皆様に感謝申し上げます。ありがとうございます。
6.掴みかけた大切な何か、それは○○
そして今、個人事業主に極めて近い法人の形で、企業とお仕事をしています。自宅で、夫と愛犬との暮らしを大切にしながらも、自分の経験を生かし、企業の広報活動、ブランディングやマーケティングの支援をしています。
自分で自分を律する。褒めるのも、厳しくするのも、全て自分次第だということ。他者からの評価なんて、相対的なものであると心得ておくこと。不安を感じたときは、そこで立ち止まらずにどんなに小さな事でも行動のエネルギーに変えていくこと。 組織の外の立場としてお預りする仕事を通して、”自分のあり方” を、考えさせられる日々です。
実際のところ、他人からどう見えるかなんて気にする余裕もなく、時間が過ぎていったという方が正しいのかもしれませんが。
私が、恵まれた環境や過去のパートナー、他人軸だった自分の価値観、たくさんのものを手放して、今掴みかけている大切な事。それは、”思いの強さ”や ”未来へのビジョン”こそが、この世の中で一番大切なのではないかという事です。
思いは人の心を揺り動かし、現実を変えていく。
やがて、コミュニティや組織、社会へも影響を与えていく。
情熱ある人たちの強い思いを、
未来を見据えて動こうとする組織や企業を、
社会へとつないでいきたい。
マーケティングという領域から、そのサポートをしていきたい。
今後も、「ビジョンを大切にすること」や「マーケティング活動に関すること」をこのnoteで発信していきたいと思っています。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
2020.10.22 /2021.06.21 加筆
青野 まさみ