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「日本語の授業マニュアルがほしい!」に弊害はないのか?

「ベテランが退職するのでマニュアルを作りたいんです!」

以前、マニュアル作成のワークショップのためにある企業さんにお邪魔した時の話です。

社員さん方からお困りごとをヒヤリングしていた時、このようなお声が挙がりました。

「ベテランが退職してしまうので、マニュアルを作りたいんです!」

そのベテランさんについてお話をうかがったところ、長年鍛え上げてきたスキルと経験を持ったとにかく仕事ができる人で、さらにお人柄も素晴らしいのでクライアントからの信頼も厚いんだとか。「彼に辞められたら大変なんです。だからまだ在職しているうちに全部マニュアルにして残しておこうと思って」と。

うん。無理ですね。…とはさすがに言えないので、「素晴らしい先輩がいなくなるのは心細いですよね。でもマニュアル化するのに向いている業務とそうじゃない業務があるので、まずはそのベテランさんの抱えている業務を全部洗い出してみましょう」と伝え、作業してもらったのですが、マニュアルにできるのはやはり一部でした。

この例のように、デキる人の仕事をマニュアル化したくなる気持ちは理解できます。

ただ、すべてをマニュアル化するのはさすがに無理がありますし、マニュアルを作成すること自体が目的になってしまっている場合もあります。

さて、日本語のレッスンマニュアルはどうなのでしょうか?

特に初めて取り組む文型は、簡易的でもレッスンマニュアルがあると安心ですよね(実際にCotoにも、レッスンの流れや各文型のポイントが記載された手引書?のようなものがあります)。

また、上手な先生のレッスンを見ると、「この先生のレッスンをマニュアル化してほしい!」と思うのは自然なことだと思います。

でも、メリットだけなのでしょうか?弊害はないのでしょうか?

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