「村松二六」物語~守り継がれる丸子の和紅茶~
歴史
明治初期、多田元吉翁が中国、インドから持ち帰った茶の種を日本で育てるも風土に合わず枯れてしまいます。しかし奇跡的に日本の風土に合ったチャノキがあり、その原木が丸子にありました。一時は国産の紅茶も栄えたものの、戦後の混乱と紅茶の輸入自由化により海外産の紅茶が主流となり国産の紅茶が衰退の一途をたどります。
茶園を営んで3代目の村松二六氏が、和紅茶の衰退に危機感をもち、平成元年より日本茶葉を使った和紅茶づくりに力を注ぎ始めます。茶園の土づくりから茶樹の栽培、加工に使われる萎