わたしのなかにある火山【エミリ•ディキンスン#175】
19世紀米国の詩人エミリ•ディキンスンは「引きこもり詩人」と言われる。死後そう言われてきたが、存命中も村人は「あの人は引きこもりよ」とささやいていただろう。それはどんなものだったのか。『DICKINSON』のなかで著者Helen Vendlerはエミリが複数の詩作で、「自分のなかには火山がある」と書いていると指摘している。“静かな火山のごとき命”を有して生きている、と。
それが今回の詩「わたしはまだ火山を見たことがない」の理解のカギである。原詩をあげよう。
I have never seen "Volcanoes" —
But, when Travellers tell
How those old — phlegmatic mountains
Usually so still —
Bear within — appalling Ordnance,
Fire, and smoke, and gun,
Taking Villages for breakfast,
And appalling Men —
If the stillness is Volcanic
In the human face
When upon a pain Titanic
Features keep their place —
If at length the smouldering anguish
Will not overcome —
And the palpitating Vineyard
In the dust, be thrown?
If some loving Antiquary,
On Resumption Morn,
Will not cry with joy "Pompeii"!
To the Hills return!
(#175)
この詩のテーマは火山で埋まった町ポンペイである。
Volcanoesは火山だが、紀元79年に大噴火して火砕流でポンペイを埋めたヴェスヴィオ山だけでなく、火山一般も含めているのか。 phlegmaticは「痰を出す」、Oldは年をとって活火山ではなく死火山になったという意味だろう。appalling Ordnanceは「超恐ろしい火器」と訳せるか。先日(8月4日)に発生したベイルートの爆発のようなものか。もうひとつあるAppalling menはどう訳すべきか。
at lengthは「長い間」、Vineyardは葡萄畑であり、ポンペイはぶどうの産地であった。Antiquaryは「古美術商」が原意だが、ポンペイの発掘を指揮したジュゼッペ・フィオレッリ氏と読むのが妥当だろう。フィオレッリは1850年代から発掘作業を開始し、灰に埋まった人々を掘り起こしたことで知られる。
出典:イタリアの古代都市、ポンペイ遺跡で時を止めたまま横たわる死者から型どった石膏像
発掘にあたり、空洞を見つけてそこに石膏を流し込んだ。固まってから掘り出すと、遺体を鋳型として発掘することができた。これが「石膏の人々」Appalling menであり、その「発見」でフィオレッリは喜び、展示会で大儲けをした。そのニュースは世界中をめぐったので、エミリも知っていたにちがいない。これがこの詩の背景だ。ためしに訳してみよう。
わたしは火山を見たことがない
いっぽう旅人はいう
咳にむせる老いた山は
そのときまで静かだと
内に凶暴な火器を構え
火、煙、そして銃だ!
朝食を平らげるように村をのみ
人々が溶かされた
その静けさを火山というなら
溶けた人の顔のなかに
すさまじい苦痛の上に
その痕跡を見るがよい
黒煙をあげ続ける苦悶を
あえぎ続ける葡萄畑を
受け入れられずに
土煙にとざしてきた
罪のない発掘家が
再発見の朝に
喜び勇んでポンペイ!と
叫んで丘を掘るときまで!
(ことばのデザイナー訳)
だいたいこんな意味だと思うが、ひとつ気になるのは、エミリがいう「わたしのなかの火山」である。引きこもりとは、家に火山を抱えるようなものなのだ。いつ怒りや嘆きや絶望や侮蔑で爆発するかわからない。それに家族はおののいている。自分をコントロールしきれない本人もおののいている。ぼくが心療内科の臨床家から聞き、家族にも本人にも話を聞いた経験から、そういえる。
エミリがどれほど「家族をおののかせたか」わからない。最後まで同居していた妹はエミリを、ほんとうにはどう思っていたのか。もっと研究すれば見えてくると思うが、現時点で思うのは、火山とは彼女自身のことなのだ。山の火山は見たことがなくても、自分という火山はずっと抱えていたのだ。エミリというひとりぼっちの正体のひとつである。