今朝はいきなり冷え込んで、うっすらとだけど樹氷が出ました。 北海道の美瑛町に転居して18回目、 そして公務員一家に生まれた私が50歳で一念発起、 民泊を始めて自営業者になった記念すべき1回目の冬です。 そんなことをボチボチ書いて行けたらと思っています。
お盆休み最後の日の夜の空。 久しぶりに書いてます。 民泊の準備が一応整い,さあ始めるぞと決意してすぐ、 世の中はコロナで大騒ぎ。なんてこった! 始めたばかりで知名度のない民泊なんて, お客さんなんて来ないだろうとすっかり諦めムードでした。 自粛が緩和されたり,Go to トラベルキャンペーンが始まっても 外国人のお客様が中心の民泊は,しばらく開店休業だろうと 完全にノンビリモードを決め込んでいました。 それが,お友達夫妻が観光がてら来て下さることになり 気合いを入れて準備
3組目のお客様が帰られた夜、別の知り合いから電話があり 4組目のお客様が2月に来てくれることになりました。 今まで来てくれた3組のお客様はそれぞれ ご夫婦で1室(洋室)、大人3人で2部屋、大人2人で2部屋というパターン。 4組目は、両親と6歳のお子さんの3名様。 小さな子どもだから、3人一緒で和室という初のパターンかな。 客室は洋室と和室の二つなのですが、洋室はシングルベッド2つだし、 6歳なら、寝具は一つあった方がいい。3名となると和室です。 開業して日の浅い我が家は、布団
開業以来3回目の営業が無事に終わりました。 雪景色を撮影に来た本州の友人がお客様になってくれました。 撮影ポイントの案内も依頼されていたので 一応のコースを考えてはいたのですが、なにしろ滞在は3泊4日。 滞在中ずっと吹雪で撮影どころか外に出られない、という可能性も 普通にあるのが北国の冬なのです。 せっかく遠方から来るのに、そんなことになったらどうしようと 私は内心焦りまくりでしたが、結果的には杞憂に終わりました。 初日の朝、家を出てわずか5分でダイヤモンドダストに遭遇。 空
民泊最初のお客さんは、結婚して新婚旅行に北海道に来た友人でした。 実は彼女、数年前に愛車で寝泊まりしながら一人で北海道を旅していて 我が家の前で道に迷っていたところに私が話しかけて そのまま家に泊まることになったという縁で知り合った なかなかアクティブなお姉さん。 民泊をやると言ったら是非泊まりたいと連絡をくれて 最初のお客様になってくれたのでした。 二組目は、ご近所さんの紹介で、やっぱり北海道旅行に来たご一家。 本格的な営業はまだまだ先と思っていたこともあり プレオープン中
お客さんの話の前に、お役所ネタをもう一つ。 我が家の民泊部分の客室です。広さは一応6畳。 (私の計測では6畳なかったけど、お役所の人はあると言った) 民泊の規定では、ざっくり言うとお客さん1人につき2畳が必要なので この部屋の定員は書類上は2人から3人に準備途中で変わったのですが フローリングだからベットを置きたいし、 あまりに狭いのもどうかと思うので、募集は2名までにしています。 (隣は和室で、そちらは寝具を買い足しました。) ところが開業してから視察に来た、別のお役所の
自分の家に人が来る。気の置けない友達ではなく、大事な人が。 そう考えたら、迷っていたいろんなことが急に決まりはじめました。 家の中はきれいに掃除して片付けて整えたり アメニティや寝具も失礼ではないものを選んだり 生活感を出し過ぎない内装を考えたり。 中でも宿泊業で一番大事なのは、そう、食事です。 素泊まりという選択肢もあるのだけれど、近隣にはお店どころか 民家さえポツポツとしかない我が家。 隣まで100メートル、町内は8件、街灯もなく夜は真っ暗。 お客さんが食事に行ける場所が
接客業をはじめるにあたって、考えることはたくさんあったけど 一番迷ったのは、私の接客態度。 私たちが生活している家に人を泊める… どうしたって時間や空間を共有することになります。 いろいろ思い悩んで、結局たどり着いたのは 「家に友人や知り合いが来て泊まっていく」時のもてなし方が 一番近いんだろうという、基本というかシンプルな考え方でしたが そう思えるまでには結構な時間が必要でした。 なかなかここに行きつけなかった原因はまたまたダンナ。 親族も多く、隣近所に固まって暮らしていた
役所の許可が全部おりて営業できるようになったのは初夏。 本当はすぐに始めようかと思ったのだけれど 商売の経験がない私は一度立ち止まることに。 観光シーズンに突入した美瑛、告知すればすぐにでも人が来るだろうけど それだと絶対にズルズル流されてしまいそうでした。 民泊には、家やアパートの一室をまるまる貸し切りにする形と 自分が住んでいる家にお客さんを泊める形があって、我が家は後者。 家主が一緒にいる状態で、お金を取ってお客さんを泊めるために どんなスタンスで営業するか、考える時間
家族の次に待っていたのはそう、VS.お役所でした。 商売するなら避けて通れません。 民泊開業のマニュアルは多岐にわたり、しかも長くて複雑。 そして、商売をする私たちだけではなく、お役所の人もまた人間。 あんな複雑なものを、100%ちゃんと理解出来てる人間なんて この世に多分いないんじゃないだろか? 申込書を取り寄せ、必要事項を書いて書類をそろえて提出(大変だった!) 何もなければ受理まで2~3週間、という期間を大幅に超えた頃 役所から電話。 「消防署の許可証が入ってないから受
何かを始めるときにトラブルはつきもの。物事はスムーズには運ばない。 50年生きてわかっていたような気がしていたけど 実は全くわかっていませんでした。 50歳のおばさんの決断を阻む最大の障害は、なんと家族。 その時下の子が受験生で、道外の大学希望だったため 家を出るタイミングに合わせてと準備をはじめたのだけれど しかしその春、下の子は家にとどまることに。 滑り止を一切受けず、本命コースをつらぬいたので あえなく浪人してしまったのでした。 しかも、翌年もこの姿勢をつらぬいたため、
気がついたら、美瑛に移住して16年、私は50歳になろうとしていました。 いつか何かをやりたいと思いながらなかなか踏ん切りがつかないまま 随分長い時間がたっていました。 子育ても大変だったし、何をしたらいいのかもよくわからなかったのは 育ちとか、私の優柔不断さとか、いろいろ理由はあったのだと思います。 しかしふと気づいたら、もうすぐ50歳。 ありきたりですが、人生の時間はもうあまり残ってないかも?! そんなとき、民泊という制度が新しく立ち上がることに。 田舎で、子ども達も巣立ち