「おとなしい」「大人びている」「落ち着いている」が成熟ではなく老化の兆候

おとなしい、大人びている、落ち着いているの正体

「おとなしい」「大人びている」「落ち着いている」という表現。一見すると総じて美形に聞こえますが、実はこれは「成熟」ではなく「老化」の証拠ではないか。この視点から、人間の大切な活力である「躍動性」を失うことの危険性を考えてみましょう。


おとなしさは「充電」であればいい

もし、おとなしさが何かをするための「充電期間」であるなら、それは背…を抱えて生きていると言えます。しかし、大半の人はそんな器用なことはできず、ただ「人間的であること」を失っているだけなのです。

人間的であることは、「喜怒哭笑」を表に出すこと、意欲的に動くこと、自分の身の世界を大きく伸ばしていくこと。これが出来なくなると、人はやがて思考や行動のスケールを失い、「なぜこれをしているのか」を認識する機会を失ってしまう。


失敗してない人は事実を知らない

「人間的であること」を失った人は、極端な状況まで試さないため、失敗から学ぶ機会がなくなります。それは、「これが自分にとって最適」という点を解のない詰まった問題にとじ込んでしまうのです。

たとえば、思春期に爆発的に行動した人は、たくさんの失敗を通して、自分の限界や「なにをしているのが無駄」というのを覚えます。これが「落ち着く」ことの本質です。


おとなしく生きてきた人は後で大きく暴れる

その一方で「おとなしく」してきた人は、大人になってから、失敗する経験を充分に経ず、最悪の場合、人生を大きく暴走させることがあります。

「いまさらこんなことをやってたら」という思いがこれに負荷をかけます。人生を「まだ終わっていない」と考えさせることが、経験の余白をつくり出すきっかけとなります。


人間は「人間であること」を失ってはいけません。それは、たとえ落ち着いているように見えても、充電を誤ることになります。これからの人生は「躍動性」の再発要するものです。

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