4・18 【命、時間、納得度】
お久しぶりです。
Kotaです。
久しぶりに過去のnoteやTwitterを見てみると、
若気の至りのような文章に溢れていて、なんとも恥ずかしい気持ちです。
(いつかこの文章を見たら、きっと同じような感情になる)
これから、頭の中の発散をnoteにさせていきたいな、と思い、乱雑に思ったことを殴り打ちしていきます。
(記事を公開するのは、たまたま自分のnoteを見て、たまたま思想や思考が一致して、たまたま出会っちゃうような、そんな妄想をしているためです。笑)
19歳で起業してから、今年で27歳。
あっという間に9年目に突入してしまったようです。
この8年を振り返って、想像の6倍くらい人生の歩みが遅くて、自己嫌悪になりそうな毎日ですが、なんとか毎日朝を迎えて、元気に生かして頂いています。
さて、人生は27年目。
30歳まで残り3年と、そろそろ現実世界をしっかりと見ないといけないような年齢となったこともあり、臨場感を持って、自分の命(時間)の使い方について、考えるようになりました。
今までも、死を連想するような体験をたくさんさせて頂き、
命は有限で、かつ突然に命の炎が消えることがあることは重々承知で、この世界の理不尽さを憂いたことがありました。
というものの、
自分の命の使い方への”納得度”は、まだまだ低く、
どうしたら”納得度”は上げられるものなのか、試行錯誤の段階です。
事業を創ったり、仲間と遊んだり、
四国や沖縄を自転車で走り続けてみたりしたものの、
まだまだわからないことばかりです。
最近は、
家族や大切な人たちとやりたいことを一緒に行っていくと、
幸せだな〜とか、良い時間だったな、なんて感じます。
ありきたりかもしれないですが、
”日々の納得度”を指標に生きてみて、
命の使い方への”納得度”が高まるか観察してみたいなと。
いつか、命(時間)の使い方を探求するスモールコミュニティなるものを作って、みんなでシェアして、体験し合うなんて面白そう。
すべての人が笑い合える世界に向けて。
今日も良い1日を。
2023年4月18日 坂地 航汰
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