グラフィックデザイナー48歳。これまでを振り返る。 その1
私、さとうコージィは今48歳です。人生の半分をグラフィックデザイナーとして生きてきました。そして独立してから約20年が経とうとしています。
あっという間という感覚もありますが、まあまあ長いことやってこれたものだなぁという気持ちもあり、これまでの半生を振り返ってみたくなりました。
絵を描くことが好きだった子供時代
僕は幼少期から絵を描くことがとにかく好きでした。今のようにTVゲームなども無かったため、天気が悪くて外で遊べない日は、スケッチブック(自由帳)に好きな漫画のキャラクターや、スーパーカー、昆虫などを、本を見ながら模写したりしていました。寝るときも枕元には自由帳と鉛筆を置いていたりしました。小学校の時には、図工の時間に描いた絵がコンクールで入賞して、毎年数回ずつ朝礼の時に表彰されていました。ついでに習字も得意だったので、絵と文字の両方で表彰されるものだから賞状は沢山もらいました。
↓小学校時代の習字
小学校の高学年になると図工の授業は専門の先生になるのですが、紫色の爪をした個性的なファッションで、いかにもアーティストという出で立ちの成瀬先生という先生が担当でした。この成瀬先生が僕の両親に、「この子は他の子供達とは違ったものを持っているから、絵の方向に進ませてあげるといいですよ。」とアドバイスしていただいたことがあります。この一言があって、自分には絵の才能があるのかな?となんとなく意識するようになりました。この後僕が中学一年生になった春に、先生は癌で亡くなってしまいました。僕に絵の道を教えてくれた大切な先生だったので、自分が将来大人になったとき、先生のお陰で今こんな仕事をしているよ!と伝えに行くことができなくなってしまったことが本当にショックで、小学校の卒業アルバムに書いてくれた「美しいものをたくさん見てください。」という先生の言葉を今も覚えています。まだ中学に上がったばかりで将来のことなど何もわからなかったけど、絶対に絵を活かした仕事ができるようになるんだ、と心に決めていました。
中学時代も美術はずっとオール満点で、体育祭の応援旗のデザインや、修学旅行のしおりの表紙デザイン、学級新聞のタイトルロゴ、卒業文集の表紙などの担当に選ばれる、クラスに必ず一人はいる、「絵がうまい生徒」でした。
美術がとれなかった高校時代
高校は地元の普通科になんとなく進学し、大好きな美術を選択しようと思っていたのですが、馬鹿正直に、第一希望:美術、第二希望:書道 と希望を書いたら第二希望の書道にまわされてしまったのです。美術は授業をサボれると思っていた生徒が第一希望しか記入せず人気が集中していたためでした。本当に納得がいかない状態でしたが、書道もずっと好きで続けていたこともあり3年間書道をやることに。書道の先生には担任も持ってくれたこともあり、とても大きな影響を受けました。楷書、行書、草書、隷書、篆書、かななど、一通り学び、今、筆文字が書けるのもこのときがあったからこそだなと今になって思います。
そうこうしているうちに、あっという間に大学受験を含めた進路を決める時期がやってきます。中学に入る時にあれだけ絵の方向に進みたい!と思っていたのに、いざ進路を決める頃になるとまったくそのイメージが湧かず、ただ漠然と塾に通う毎日。目標が無いものだから成績も下がる一方で、やる気も出ない。。絵を描くって、画家になっても食べていけないよな〜と思い込み、両親も、家が商売をしていてその苦労を子供にはさせたくないという理由から、サラリーマンがいいとか、国家公務員が安定しているとか、そんな希望を聞かされながら、なんか違うな〜と悶々としたまま時間ばかりが過ぎていきました。先生に相談しても、デザイナーという職業は、ファッションデザイナーか、建築家という選択肢しか教えてくれない。僕自身も全く無知だったから、そのまま鵜呑みにしていて、ファッションは違うし、建築だったら理系が強くないといけないから、自分には向いてないな、、と。
自分だけが進路を決められない焦りの中、夏休みに入ってしまったある日、ポストにデザイン系の専門学校のチラシがいくつか入っていたんですね。開けてみると企業のロゴや、ポスター、パッケージなどが載っていて、グラフィックデザインという分野があることをはじめて知りました。まさに自分がやりたいことはこれだ!と本当に衝撃を受けました。やりたいことがやっと見つかった瞬間でした。ここからの自分は本当に水を得た魚のように、図書館に行ってグラフィックデザイナーという職業のことを調べたり、デザイン専門学校の体験修行に行ったり、芸大受験のための美術研究所に通ったりしました。
↓研究所で初めて描いたデッサン(左)
高三の夏休みが開けたころから美術研究所に行ったのですが、最初に推薦入試を予定していた宝塚造形芸術大学(現宝塚大学)の入試課題で水彩デッサンがあり、研究所でなかなかその対策になる課題をやってくれないものだから、しばらくは自宅でやってみることに。自分でモチーフを設定して、時間を決めて水彩デッサンをし、高校の美術の先生に批評してもらおうとしました。いざ描き上げたデッサンを美術の先生に見せてみたら、褒めるばかりで直すポイントなどを言ってくれません。仕方なく独学で練習していると、研究所の友人から連絡があり、「今日、水彩デッサンの課題が出てたよ。自分は推薦受けられないから、自分が描いている途中からでよかったら、こうちゃん描いてもいいよ。」と。それで2日目から続きを描かせてもらったのですが、なんと受験当日に出題されたモチーフ4点のうち2点がこのとき描いたモチーフと同じで、他の2点も自分で描いたことがあるものだったのです。楽々と描くことができ、たった2ヶ月の勉強しかしていないのに、11月には高校で最初に大学に受かってしまいました。研究所の課題を教えてくれた友人には本当に感謝しかありません。
↓初めて描いた水彩デッサン(左) 研究所の友人から引き継いだ絵(右)
次回は大学時代の話しにつづきます。