フリーランスのデザイナーとして独立。 2001年1月5日、フリーのデザイナーとしてのスタートを切ったのですが、その時準備したことは、100万円の貯金だけでとりあえず6畳の和室、6畳の洋室と6畳のダイニングのある安い部屋を借りました。場所は城東区緑橋駅前。当時は回線が遅くて、今のようにデザイン案や資料のやり取りをメールで送ることは難しく、打ち合わせや納品はクライアントまで出向かなければ仕事にならなかったので、大阪市内への交通の利便性の良い場所で、尚且つ家賃が安く広い物件という条
就職が決まり、いよいよグラフィックデザイナーになる。 僕が就職した会社は、SP(セールスポロモーション)専門のエージェンシーで、当時創業約30年、東京本社と各主要都市に支店・営業所があり、静岡に製造工場も持っている従業員数約500名ほどの規模でした。もともとは、デザイナーの部署というものもなく、手描きのPOPライターさんがスーパーなどのPOPを作っていたそうです。その後、大手スーパーの日常で使うプライスPOPを効率よく量産できるシステムを開発してから急成長を遂げ、主要なスーパ
やっとデザインが学べる!大学時代 宝塚造形芸術大学は新しい学校で、4期生としてビジュアルコースに入学。クラスは25人くらいで、同じメンバーで4年を共にします。高校生までとはちがい、みんな絵や物作りが好きで得意な人ばかり。そんな中で絶対にみんなに負けたくない!と、とにかく実技だけは人一倍頑張りました。中には画力がずば抜けた人、センスがずば抜けた人、繊細な絵を描かせたらかなわない人、先輩にも凄い人がいたり毎日が刺激に溢れていました。小さな大学だったので、コース、学科をまたいで交流
私、さとうコージィは今48歳です。人生の半分をグラフィックデザイナーとして生きてきました。そして独立してから約20年が経とうとしています。 あっという間という感覚もありますが、まあまあ長いことやってこれたものだなぁという気持ちもあり、これまでの半生を振り返ってみたくなりました。 絵を描くことが好きだった子供時代 僕は幼少期から絵を描くことがとにかく好きでした。今のようにTVゲームなども無かったため、天気が悪くて外で遊べない日は、スケッチブック(自由帳)に好きな漫画のキャラ