【天界通信】Vol.10『「正しい」がもたらす弊害』其の壱
今回は、「正しい」が齎す弊害について記す。
これから記す事は私が観たモノなので、それが正しいとか、全てそうなっているというわけでは「ない」事をご理解頂いた上で読み進めてください。
前回『人間が「キレる」時に注がれるモノ』について記したが、「正しい」が齎す弊害は、その「注がれるモノ」に関連がある。
現代は情報が多岐にわたり、量も多く、浴びやすい。
情報に通じる方が多岐にわたる情報の先導をすると、自らの意思に関係なく流され、飲み込まれてしまいがち。
そして、浴びた情報をジャッジし、自分と違う意見を「間違っている」と思い、湧き上がる怒りをSNSへ垂れ流しがち。
自身の見解を(場合によっては無記名で)思いのまま全世界に向けて発信出来るSNS媒体のおかげで、多岐にわたる情報に対し(中には深い知識や付随する情報をしっかり確かめる事もせぬまま)誰もが自身の思いや意見を発信出来る。
それ自体は、批判も非難もする気はない。
浴びた情報へのジャッジは、「日本国憲法に照らし合わせる」などの前提がない限り、誰もに共通する明確な、確固たる基準値は存在しない。
だが殆どの場合、自身の感じ方や見解が「正しい」事を基準にジャッジされている。
あたかも、それが世界のモノの判断の基準値のように。
大概が自身の思い通りに事は運ばず、それによって怒りが生じ、行き場のない感情を自らSNSで発信したり、怒りの元の当該者の投稿に感情のままにコメントしたり。
それでも収まらない感情エネルギーは、あるところに溜まっていく。
集合的無意識の、感情エネルギーのプールに。
ユングによると「集合的無意識」とは「個人の経験する無意識」より深く、同じ種族や、民族あるいは人類が「共通して伝えられている無意識」の事。
そこに蓄えられる感情エネルギー、中でも怒りのエネルギーが、近年そのプールの容量をはるかに超えて注ぎ込まれている。
その原因は、前述の自身の「正しさ」によるジャッジから派生している。
自分の意識や考えが「正しい」と思っているうちは、その矢印が自分に向いているうちは、いい。
その「正しさ」に則って日々行動し、自身の思う道を外れないように、間違いが起こらないように過ごすのはとても大切な事だ。
ただ、その矢印が自身以外に向けられると様々な軋轢が生まれる。
世の中の状況、多岐に渡る情報、政治不安、物価上昇、撲滅されない感染症、不倫騒動、芸能ニュース、等々…。
自身の視点から、自身の「正しさ」に則ってそれらを判断すると、一番大きく吐き出されるのは「怒り」。
その感情エネルギーは、すでに容量を超えている集合的無意識の感情エネルギープールに吐き出され続ける。
そこから溢れ出た怒りのエネルギーが吐き出される先は、誰かの怒りを足掛かりにした「キレる」行動へと繋がっていくのだ。