食エッセイスタート
はじめまして。
食に関しては完全分けて
今後言葉にしていくためにも、
題して「私と食との日々」。
これはもう紛れもなく食べたこと、感じたことを残そうという
単純なる動機からです。
今後音声配信とかできたらいいなとか思いつつ。
私と食の始まり
ここからは独り言口調で話していこうかと思う。
私の幼少期は控えめに言っても裕福だった。(謙遜無し)
というのもあるホテルのフレンチレストランのソムリエの方と両親は親しく、そのレストランに行くときは必ず個室のすごい部屋だったり
(今では信じられないバブルさ)
旅行は異常な頻度で行き(恐ろしい話学校に行くまで家にいた記憶は薄い)
他にも色々あるけれどもそのフレンチレストランでの思い出が大きい。
「牛肉の〇〇添え△△ソースを添えて」
みたいな食べ出すとそれが牛肉としか思い出せないけれども
やけにメニュー名が長い
みたいな美味しそうな変わったメニューが名を連ねる中で
(ちなみにこれ絶対シェフの皆様がこんな変わったソース使ってるんだから感じ取ってくれよ、ってメッセージかと思っている)
私は多くの人が悔やむ選択をし続けていた。
それが毎回毎回
「フライドポテト」を選び続け食べ続けたこと
まあでもそれがその時の自分の最適解だった訳だし。
そして思い出したことは
同じ味のものを食べ続けることはその中のバリエーションを感じ始めることということ。
一見同じ味のものを繰り返し同じ動作で食べるということ
ポテトを食べる少女は一体何を考えていたのか、ちょっと思い出したことがある。
忘れないように記しておこうと思う。
・ポテト1本1本の形状(細いもの太いもの、短く途中で切断されているもの)
・温度の違い(奥から出てきたものの熱さや空気に触れた面積が広くて冷めている部分、その二つの違い)
・塩味の違い(塩が固まっているのかあまりついていないのか)
こんなところの違いを観察しながら、味の違いを考えていたように覚えている。
すごく観察する子供だった。確かこれは食べ物に対してだけではなく
人や周りの状況に対しても異常なまでに観察し、自分で勝手に考察する子供。
結果、私は冷めていて、ポテトが細くて長い、塩が程よく効いている、芋のボソボソした中身が少し、ぎゅっと詰まっているポテトを見つけると喜んでいた。
そんなポテトへの研究と探求に勤しんでいる間も父と母は豪華なフレンチを楽しみ、ワインを嗜み、旬の食べ物をきっと食べていたんだろう。
前に母に聞いた事がある、その時食べたものは覚えているのか、と。
でも私のポテトほどの返答は返って来ることはなかった。
当たり前だ。食べている回数も違う。ポテトを何度も食べている私が有利に決まっている。
でも、それでも、食べる時に考えて、観察して、何か本当にしょうもないと
後から思っても一生懸命感じ取ろうとした好きな食べ物は
きっと財産になる食の時間なんだろうな、と思う。
そうそう、ちなみにその時学んだのは
ポテトにソースとか余計なものはつけないで塩味で食べることが一番好き。という事。
だからなんだ。という内容かもしれないけれども。
食べ物の話は幸せになるなああ。
あのホクホクお芋の香りに包まれた幸せな空気。
と眠くなってきたのでそろそろおやすみなさい。