ハビタブル・ゾーン
昨日、隣のレジに並んだじいちゃんが、草履で子トカゲを踏んだ。
しばらくしてチリトリに入れられ、トカゲは消えた。
捕まえて逃がそうか迷っている間に、
白いピカピカの床と私たちの足だけ残った。
その後、車に乗り込むと、1㎜に満たない尺取り虫が二の腕に付いていた。
車内はもちろん30度以上。
外に指で弾いた。
炎天下の駐車場。
自分の視界から外れるだけで、助かる見込みのないところへ放ってしまった。
つながれたまま亡くなった、海の向こうの人を思って、少し泣いた。
それなのに、こんな小さなものすら大切にできない。
ハビタブルゾーン。
なにかしらの生命体が存する可能性のある場所。
地球の生命が生きられる環境があるかもしれない領域。
自然災害やヒューマンエラーが、そこここで安心を根こそぎ奪う。
ここじゃないどこか。
1から組み立ててまっさらから始められる、どこか。
現実味のなかった宇宙への旅や移住の話を読むたびに、技術が進歩しても、それを使うものの意識が幼ければ、ここと同じことが繰り返されるんじゃないだろうかと思ってしまう。
反対してるんじゃない。
いろいろと今がもどかしいだけだ。
わたしは、満ち足りている。
こう、ことばにも上らないほど、ここに今を沁み込ませ、淡々と刻む。
そんな風にいられたら、手の届かなかった遠くのいのちも、日々の小さな選択の繰り返しで、いつか届くのじゃないか。
バタフライ効果を思いながら、今日も全身の痒みにのたうっている。
生命がのびのびと自由闊達に生きられるハビタブルゾーン。
人間とか、誰にとってってことじゃなくて、丸ごとみんなでそんな風に暮らせたら、どんな感じなのか。
コモドオオトカゲの皮膚に、痒みに特化されナマコ化した感覚で、そんなことを想像して気を紛らわせている。
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