花籠男が拝殿でご祈祷した花(柳)は、氏子の他に来場者にも配られる。花の色の順番は、場所によって伝わり方が違う。調べねば。七五三のお嬢さんがお友達の園児のみんなからのお祝いに、はにかんでは笑みがこぼれる。その様子に大人が溶けそうなくしゃくしゃの目で見守る。祭りはみな気持ち良い笑顔。
お祭りの幟は雨で片付けられた今日、遠足・観光・撮影・麒麟獅子研究やら氏子さん達とは違う、色んな理由で人々が境内に集まった。ご祈祷までは持ち堪えていた空が、ポツリポツポツと雨粒を落とし始めたのは、麒麟獅子舞の鐘の一打目の少し前からだった。ゆらり歩く猩々の未満児と軽く握手する指先よ。
お米に山のもの、海のもの、地のもの、果物…。「神人共食」という言葉を知った。ご祈祷の後に宮司と氏子がみなで御神酒を啜り、榊の葉で掬ったお洗米を掌に移して食べる。皮の張り具合に合わせて、味のある太鼓の音が山に反響して返ってくる。この山々、大地、空のはざまで生かされているんだなあ。
3年前、校庭の除草方法から話がこじれたジゲのお父さんが、ずいぶん昔に作ったというネズミ退治の道具を見せてもらった。オリジナルなのだ。そしてどういう仕組みなのかを説明する姿はもう、全く楽しげでこちらまで嬉しくなってしまうのだった。取り方はさておき、あの時諦めなかったから、今がある。
誰かが携帯でも落としたのかと近づいてみれば、蓄光性のミニブイだった。沖の光には及ばないけれど、風と海鳴りだけの砂浜で目を引いた。誰も探そうとしないし、頼りにもしていない、お役御免の光。あるまま、あるさま。前でも先でもない、今にも良いも悪いもない。ここにピン打ちして時折立ち止まる。
なんてことない買い物に出たら、空が真っ赤なだんだらひつじ雲。右手にはいか釣り漁船の青白いLEDの光が点々と並んでいた。風のせいで浜辺は少し肌寒くて、波の音にまかせている時間は自然と短くなった。この後、バッテリー上がりで立ち往生。親切な損保のお姉さんと業者さんに救われた。感謝。