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その夜の話を
自分だけがみんなと違った。
悪い意味だ。どうしてもどこか馴染めなくて、仲良くしてもらってもそこの一員にはなれなくて、一時しのぎの穴埋めにはなれるけれど、代わりにもなれないし、選ばれることもない。
認めて欲しくて、必要とされたくて、いていいよって言われたくて、 がんばってみたけど何一つ満足にできなかった。
普通の人にはなれなくて、追いつけなくて、 分かり合えなくて、迷惑をかけたり傷つけたり困らせたり。そんなことばかりだった。自分はここにいないほうがいいんだと思った。どこにもいちゃいけないんだと思った。
だから森の奥で暮らしてきた。
幼い子どもにとって森は過酷だった。ひとりきりで獣に怯え、険しい道で傷だらけになり、空腹に耐えかね、弱り果て、ぼろぼろになって、穴に落ち、動けないままうずくまっていた。
自分の呼吸と鼓動しか聞こえない空間で、やっと寝返りを打てたとき、月が見えた。
美しかった。
まばゆく、明るく、どこか冷たく、けれどどこまでも等しく冴えわたる光。一瞬で心奪われた。こんなに美しいものを見たことがなかった。
この美しさに出会えるなら、ぼろぼろでも孤独でもかまわない。他のものなんて何もいらない。自分の命だって捧げていい。
そう思えるのなら、きっとここが私の居場所だ。
ようやく見つけた。私は穴の底の月で生きていく人間だったのだ。
そう分かってしまえば、痣も傷跡も勲章のようで、いっそ誇らしかった。
自分の特異さを認めると「そういう人間」としてふるまえたし、そうしたら町や人里にも下りられるようになった。人々は森にあるものを案外喜んでくれた。『そういう人間』 を面白がってくれる人とも出会えた。意外なことに心配してくれる人も、心配のあまり叱ってくれる人までいた。世の中には自分も多かれ少なかれ森で暮らしたことがあるとか、身近に森暮らしの経験者がいるとか、そんな人たちもいるのだと知った。
おかげで人の世界をずっと身近に感じられるようになって、もっと関わってみたくなった。関われる人間になろうと決めた。
失敗もしながら少しずつ馴染んで いろんな道具も上手に使えるようになって、なんとか森を出ても暮らせるようになった。人の世界はずいぶん優しくて、楽しくて、居心地が良くて、拍子抜けした。あのときここにいられなかったのは何だったんだろう。
でもずっとここで暮らしていたら分からなかったこともあるのだろうし、森でいろんな体験をしたからこそ馴染めているのかもしれない。
きっと森を経て、たくさんの人にも会って、いろんな部分で変われたのだ。あの頃の私は何かが駄目だったのだろう。森の自由さや穴の底の月が恋しいときもあるけれど、それは秘めておいて、人の世界でまた新しく生きていこう。
そういうときに、 あなたに会った。
私から見れば、あなたは完全に普通の人だった。ちゃんと人の世界で生きてきた人。雨が降れば傘を差し、傷が出来れば絆創膏を貼り、寒ければ家でストーブをつけてシチューを作って食べる人。とてもまっとうな、穏やかに清く正しい、普通の人。
だから、仲良くなれたとしても深く交わることはないと思った。
だって普通の人に森の暮らしは分からない。そんなところで好き好んで暮らす人がいるなんて想像もしないだろうし、穴の底の月がどうだなんて、話したところで困らせるだけだ。
どうも違うようだと気付いたのは、ずっとあと。森の住人を描いた物語が好きだと知ったから。
意外だった。そんなもの『普通の人』は好まないと思っていたから。
ということはこの人、ひょっとしたら、私の森での暮らしも先入観なしに聞いてくれるんじゃないだろうか。あの月の美しさにだって、耳を傾けてくれるんじゃないだろうか。
もしもそんなことが起こったら。
それって夢みたいだな。
そういう人と一緒にいることを幸せと呼ぶのだろうな。
この人が『そういう人』かは分からないけど、確かめてみたいな。
そう思って、すこし近付いた。
そうしたら、 離れたくなくなった。
だって全部が想像以上だった。
森での怪我も、月を見上げた思い出も、あなたはどれもじっと聞いてくれた。私が差し出すものすべて、大きいものも小さいものも、面倒臭いものも楽しいものも、すべてフラットに、まるごと、等しく受け取ってくれた。善悪の判断がひとつもなく、受け取ったものすべてを私のパーツとして好意的に肯定的に見ている節さえあった。違う生き物である私に寄り添い、尊重し、大切にしようとしてくれていた。ごく当たり前のこととして、けれど丁寧に、細やかに、感情を傾けてくれていた。
何より嬉しかったのは、それが何もかもに及んだこと。あなたが私の、あまり良く思われない部分まで受け取ってくれたこと。
書いてきた通り私は森での暮らしが長く、人の世界の文化や慣習に疎い。また生来人と馴染みづらい性質を持っていたから森に逃げ込んだのであって、普通の人が見れば眉をひそめたり戸惑ったりする要素をいくつも持っている。
それらの中には私にとっても好ましくない要素だってあるけれど、ひそかにお気に入りの部分も実はある。でもしょうがないからどれもあまり表には出さないようにして、ときどきぼろっと出てしまっては嫌な顔をされ、謝りながらもちょっと傷ついたりして持ち続けてきた。
何が言いたいかというと、要するに私は私の駄目な部分、今現在駄目とされている部分もかつて駄目とされた部分も、駄目じゃないよと言って欲しかったのだ。
だってあんなに一生懸命だった。必死だった。精一杯やってきたことを、その結果を、 駄目だと言われるのは辛かった。森の自由さや穴の底の月が恋しくなることも、間違いだと言われたら悲しかった。人ではない私のそのままを認めて欲しかった。愛して欲しかった。
そんな感情論の甘えは到底許されないと思っていた。
まさか人の世界の、まっとうに普通な普通の人が掬い上げてくれるなんて。
それもこれほど圧倒的にくまなく、穏やかに、優しく。
衝撃だった。離れたくなくなって留まっていたら、あなたが、じゃあうちに来ませんかと窓を開けてくれた。あなたの後ろからふわりと灯りがあふれた。
その瞬間に、涙がこぼれた。
まばゆく、明るく、ただただ穏やかで、なにもかも包み込むような灯り。優しくあたたかく、奥底で凍りついていたものまで溶かしてくれた。心の底から安堵して、するするとほどかれながら、これだ、と思った。
これだった。ずっとずっと欲しかったもの。
だって、そうだった。私、ひとりぼっちで森へ向かいながら、窓の中から聞こえる笑い声が羨ましくて泣きそうだった。ここに来ていいよって言って欲しくて、でも絶対に叶っちゃいけないと諦めていたから、唇を噛みしめて耐えていた。滲んだ血の味、 何で忘れていたんだろう。
本当は、明るいものが欲しかったんだ。あたたかいものに、どこまでもまっすぐ、隅々まで照らして包んでもらいたかったんだ。穴の底の月がそうだと思っていたけど、あれは『森にあるもののうち、もっとも希望に近いもの』ってだけだったんだ。
知らなかった。
あなたが窓を開けてくれて、はじめて、分かった。
開けてもらったから、あなたの隣で暮らせることになった。一緒にいるとますますあなたに驚かされた。
まず「みんなと違う」があなたにとって特別な意味を持たないこと。
私は相変わらずあなたともみんなとも違っているけれど、あなたは「それでもいいよ」でもなく「だからいいんだよ」でもなく、「違うかどうかはよく分からないけど、僕は君が好きだよ」と言ってくれた。それは比較もジャッジもなく、ただただ私だけをまっすぐに見てくれているという証拠で、私にとっては世界でいちばんの愛だった。
更にあなたはいろんな場面で、いろんな形で、惜しみなく愛情を注いでくれた。
雨が降れば傘を持って迎えに来てくれたし、 傷が出来れば絆創膏を取り出して貼ってくれたし、寒ければストーブをつけてシチューを振舞ってくれたし、眠れない夜はココアを淹れて抱きしめてくれた。それらを全部、『当たり前』として差し出してくれた。
今までも誰かに差し出してもらったことはあった。けれど長らく傘も家もなかった私にとって、こういうものは全部「特別」だった。
だから私が誰かに差し出すときは特別なこととして差し出してきたし、誰かが私にくれるときも 特別なこととしてやってくれた。こんなふうにもらったことはなかった。
ただでさえ良いものなのにもっともっと素敵なものに感じられて、そんなすごいものをもらえるなんて、自分がとてつもなく素晴らしい存在のような気がした。とんでもない宝物になったみたいで、嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、くすぐったくって、幸せだった。
あなたの隣は、どこより居心地が良くて、どこより安らげて、どこより私が私でいられる。
そう思えるから、絶対にここが私の居場所だ。
ようやく分かった。私は愛されて生きていく
人間だ。
ありがとう。私に出会ってくれて。
あなたが『当たり前」だけじゃなく、ときどき背伸びしたりがんばったりしてくれてることも、見つけているつもりです。どれも私を大事にしてくれているからだよね。伝わっています。
あなたが本当に本当に丁寧に大事にしてくれるから、私は私が大好きになりました。そうしたらいろんなことをがんばれるようになりました。すごいよね、あなたって魔法みたい。あんまりにもすごすぎるから、前世の私はあなたをオーダーメイドしたんじゃないかって疑っています。
それくらい私にぴったりなあなただから、ならば私にだって、あなたのために出来ることがあるはずなのです。それが何なのかはまだ分からないけど、ちゃんと見つけて、あなたに渡していけたら幸せだなって思います。
もしかしたらあなたにはもう分かっているのかもしれない。
あなたの当たり前が私の特別であるように、私の当たり前があなたの特別なのかもしれない。
そこにいたのが私だったから、あなたが窓を開けてくれたのかもしれない。
そうだったらいいな。
私にとってのあなたが、あなたにとっての私だったらいいな。
そういうふうに、いつまでも、いられますように。
ありがとう。
だいすきです。
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