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今日の月は、僕の好きな月。

拝啓、お元気でしょうか。 
ずいぶん涼しくなりましたね。朝晩などは、ちょっと寒いほどです。お布団から出たくなくなりつつありますが、それはべつに季節に関係ないんでした。
君のとこの気温も大差ないでしょうから、きっと同じ状況なんだろうなと思います。

僕は先日、ちょっとした変化がありました。
とっくに過ぎていなくちゃいけない変化です。ほんの些細な変化です。
でもそれが僕にとってどれだけ大きいことなのか、君なら分かってくれるでしょう。

未来を決めました。10年先の私を想像してみました。

君も知っての通り、僕は未来に期待する能力が著しく欠けています。未来のことを考えるのは、とても苦手です。
僕は人生のかなり最初の段階で生きて行くのが怖くなるような出来事に遭遇したので、未来というものが怖かったのです。これが未来なら要らないって、その時に心底思ってしまって以来、僕の人生には『未来』が勘定に入っていませんでした。

小学校の頃、『未来年表』というものを書いたことがあります。自分の人生を年表形式で書いていくやつ。
それは今までの人生だけじゃなくて、これからの人生も書くもの。どんな人生にしたいのか考えるきっかけにしてね…みたいな感じで書かされたものだったんだろう、と今では思うのですが、『書く』という行為が大好きな私が、これだけは苦痛で仕方なかった。
だって、何にも書けなかったから。
大学まで行くことにすれば、とりあえず22歳までは埋まる。それから働くことにして、でも働くってこともどういうことなのかよく分かってなくて、28歳まで来た時に鉛筆が止まりました。もうこれ以上は無理。何も書けない。なーんにも浮かばない。
でもこれを書いて提出しなくちゃいけないから、どうしようと考えた結果、友達のを写しました。三人くらいの友達に見せてもらって、「この子は27歳で子供を産むことにしているから、私は30歳くらいにしよう」「この子は35歳の時に自分のお店を持つって書いてるなぁ…じゃあ私も35歳の時に何か転機っぽいものを書くことにして……そうだな、引っ越しを入れよう。とりあえずアメリカあたりにしとけば面白いかな。そしたら帰って来るイベントも入れられるし、よしこれで二つ埋まった」みたいな感じで、写したことがバレないように巧妙に、切り貼りとアレンジを加えて何とか埋めました。書いてる途中で、何で日本人の一生って80年くらいあるんだろうとか恨み始めるレベルでした。

未来年表を書いたのは その時だけだったけれども、似たような機会は他にもあって、私は何故だか いっつも28歳から先を想像することが出来ませんでした。だからずっと「私は きっと28歳で死ぬんだろうな」と思っていたし、そのつもりで生きてきました。
大人になって、どうやらその先まで生き延びることを考えた方が良さそうだと気付いた時にはもう手遅れで、私は未来を描く能力のない大人になっていました。

何とかしなきゃと思えたのは、君が僕の未来を望んでくれたからです。ちゃんと幸せになりなさいって、何度も言ってくれたからです。
そして大学生と関わる仕事を始めて、彼らと一緒にいたら、「何とかしたい」と思えるようになりました。
でも未来を夢見られるほど未来恐怖症を克服してもいなくて、だけど夢見てみたくて、自分の中で火をつけたり消したりしながら毎日が過ぎていました。 

そしてこの間、自分のキャリアについて考えようっていう大学生向けのイベントがありました。
一泊二日の合宿形式で、僕はスタッフとして参加しました。スタッフだけど一緒に勉強しよう、きっかけをつかんで帰ろうって決めて、今回のイベントを迎えました。

気付いたことが、みっつあります。

一つ目は、僕は本当に、未来設計に関わる能力を綺麗に落としてきていること。
キャリア形成については、ちゃんとどの段階でどの能力を身につけておくべきか、っていう指針が出てるんです。学習指導要領みたいなものですね。それを振り返ってみたら未来設計の部分だけ、まったく養えていませんでした。びっくり。
本当に『今』だけで生きてきたのだなぁと、逆に感心しました。

二つ目は、僕はずっと未来を描いてみたかったのだということ。
諦めていたけれども、僕はいつからか未来に憧れてもいたようです。それはたぶん、君たちがいたからでしょう。
自分の未来を描くことは、私にとって、一つの夢でした。それにようやく気が付きました。見つけるのが ずいぶん遅くなってしまったね。でも、ずっとそこにいてくれて ありがとう。

そして三つ目の、これがいちばん大きかったのですけど、未来を語れないことはとても恥ずかしいということです。
「10年後の自己紹介」というワークがありました。今が2024年だと仮定して自己紹介をし合うのです。
大学生たち、すがすがしいくらいに妄想の設定を語り合っていました。とても楽しそうでした。
僕、あの中にいたら、何にも話せない。
10年後の自分が生きているとさえ思えていないのに、話せることなんてない。
それでもいいって、今までは思っていました。でもこの時ばかりは、とても恥ずかしくなりました。恥ずかしいし、悲しいし、惨めだった。

僕だって僕なりに、精一杯生きてきました。それは誰に否定されても、変わることのない事実です。だから10年前の僕に、「10年後のお前、けっこうがんばってるよ」って言ってやることはできます。僕の前になら、僕は胸を張って立てる。
そして大学生たちにも、一人のスタッフさんとしてなら向き合えます。あの子たちは僕のことを好いていてくれるし、信頼してくれています。
でも一人の人間として あの子たちに自分を誇れるかと言うと、それは はっきりNoでした。私はこの子たちよりも、遥かに人としてレベルが低い。
あの子たちに誇れる自分になりたい。じゃなきゃ お互い、とても悲しい。そして淋しい。そう思いました。

どんな自分であったら幸せなのか、何がしたいのか、どうなりたいのか。
まだしっかりと定まったわけではないけれども、方向だけは分かってきました。
僕やっぱり、何かを生み出したい。それによって誰かと繋がりたい。
あなたは一人じゃないし大事なんだよって、言って欲しいし、そう言いたい。

僕に足りないものも分かりました。だから まずは、やってみようと思います。
今までは怖くなくなるようにしてから、と思っていましたけど、どれだけ準備をしたって、どうせ怖いものは怖いのでしょうね。でも未来に怯えることは今を生きるよりずっと素敵なこと、ってくるりの岸田さんが歌っていたから、きっとそれでいいんだと思います。
考え過ぎだってしばらくは治らないと思いますが、考え過ぎた後にでも、踏み出すことをやめないように。
僕は馬鹿なので いろんなことをすぐ忘れてしまうので、もしまた忘れていたら、どうかやって叱ってください。
なんて、こんなふうに言ってしまうのも、まだ甘えている証拠でしょうか。 

未来を夢見たい。自分を好きになりたい。
その為には、そうですね、苦しまなくてはいけないのですね。がんばらなくてはいけないのですね。
少しだけ分かりました。君の言っていたこと。
たぶん僕は、これからたくさん泣きます。たくさん凹みます。
それでもいいんだって、いつまでも言えるようにいたいです。

良いものが生み出せたら、君にも見て欲しい。
君に見て欲しいと思えるものを たくさん生み出せるように、自分の中身と向き合っていく。
がんばってみるよ。今度こそ。

それでは、またね。
風邪に気を付けてください。

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