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星占い的に、私にとって居場所の有無は最重要項目らしい。

わたしはここにいていいんだろうか。

小さい頃から何となく、そういう疑問を感じていた。
きっとここにわたしはいるべきじゃなくて、ほんとは他の人のための居場所を、恐れ多くも貸してもらっているだけなんだろうなぁ。って。

いつからそう感じるようになったのかは覚えていない。理由もわからない。でも何となくずっとそう思っていた。どこにいても、誰といても、何をしていても。
正しいのか間違っているのかは分からないけど、それがわたしの原風景であり、出発点になった。

居場所が欲しかった。いつでも、どんな時でも、ここにいていいよと言われたかった。
でも私はいるべきじゃない場所にむりやり居座っているから、そういう悪い子だから、無条件では居られない。いい子でいなくちゃいけないし、役に立たなくちゃいけないし、迷惑かけちゃいけないし、存在する理由を主張して認めてもらわなくちゃいけない。

そういうふうに過ごしていたら、大抵のことは一人で出来るいい子になった。周りの子の面倒もそこそこ見てあげられるし、勉強も出来て物怖じせずに自分の意見も言える、しっかりしている子だと思われた。
きっとこれで私を認めてもらえると思ったけど、そういう子は余計に放っておかれた。無関心とは違うけど、「一人でいいよね」と後回しにされ続けた。

例えば私が怪我をしたとたら、「大丈夫?絆創膏あげようか?」って親切に声をかけてくれる人がいる。そんなに大した怪我でもないし、絆創膏なんかなくっても明日には気にならなくなるような傷だ。なのに気にしてくれるなんて、すごく嬉しかった。
でもその人は、ほんの小さな傷でわんわん泣いているような子には、「痛かったねぇ、よしよし」って頭を撫でて、絆創膏貼ってあげて、泣き止むまで抱きしめてあげたりするんだ。

そっか、私はまだ足りないのか。
もっといい子に、いい子以上の存在に、ならなくちゃいけないのか。

愛されたかった。淋しかった。でもそれを言うことは赦されていないと思っていたから、「淋しいです」と言う権利が欲しかった。「ここにいたいです」と言える資格が欲しかった。どうしたら手に入るのか分からなかった。でもがんばれば何とかなるんじゃないかと思っていた。闇雲でも、目くら打ちでも何でも、どうにかすればどうにかなるんじゃないかと。
大した傷じゃなくても絆創膏貼って欲しいって思うような子どものわたしには、それしか思いつかなかったのだ。


がんばることに疲れはじめた時と、姉の心が壊れた時とが重なった。家の中は暗く重く、弱っていたわたしはそれに耐えられなかった。
でも先に姉が壊れていたから、わたしまで壊れることは許されていなかった。

こんなに辛いのに苦しいのに、わたしはまだがんばらなくちゃいけないんだ。
でもしょうがないよね。だってわたしはいい子じゃないもん。


だけどこんなにがんばっても駄目なんだったら、もう、いいや。

そう思ってわたしは、「要らないって言われるんだったら、わたしも要らない」と背を向けた。
一人で生きていこうと思った。どうせ一人で生きていかなくちゃいけないなら、自分からその道を選んだほうが楽だと思った。


そのようにして私は母港を持たない船になった。
私にとってはすべての港がただの寄港地で、帰属も所属もない私には縄張りも闘争も関係なくて、どこにだって行くことができた。あらゆる場所が私を受け入れてくれた。

でもどこも『居場所』ではなかった。どこにでも行けるということは、どこにもいられないということだった。私は動物にも鳥にも仲間に入れてもらえない蝙蝠みたいな存在だった。


私の居場所ってどこなんだろう?
そんなところあるんだろうか?
あるならばどこ?
どこであれば私は、存在を許してもらうことができるんだろう?


それが私の中にずっと根付いていた疑問だった。
さすがに今でも同じことを考えているわけではないけれど、ふとした時に「ここにいてもいいのかな」と不安になる。
好きなのに、好きだからこそ、「私はこの場にふさわしいのかな」とか「ここに私がいて、何か意味があるのかな」とか「私がいて迷惑じゃないかな」とか考えてしまう。そうなってしまうと だいぶん苦しい。好きな人と好きなことをする好きな場所なのに。『価値がないといちゃいけない』みたいな考え方は良くないってことも、もうさすがに分かっているのに。他の人が同じことで悩んでいたら、「好きならいていいんじゃない」とか「一緒に楽しんでくれるなら、それが周りの人にとってもいちばん嬉しいことだよ」とかいくらでも言えるのに。

私はまだまだずるいのだ。
ねじくれたずるさを「努力」という大義名分のメッキで隠して、それを他人に認めてもらおうとしているのだ。
そんな都合のいい話って、ない。

自分を許せるのは、自分だけ。
きっかけは他人の言動だとしても、それを花開くために使えるかは自分次第だ。


ってことにようやく目を向け始めた、29歳の冬。
今 人間になって1年半くらいだから、40歳迎えるころには大人として胸を張れるかしら。

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