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フィロソフィーな夜🌙
こんばんは、今夜もおつれさまです
プルースト「失われた時を求めて」には、人が、人間が、認識することについて織り込まれていると思います。
分かり易くいえば…
「これは、そう、あれだ」と皆さんがそれまでの人生において頭の中にあるものと照らしあわせて、ピッタリだと思うことが「認識」と言えると思います。
「それって、結構、人それぞれによるんじゃない」とか「思い違いする人もいるんじゃない」とか、思っちゃうんじゃないでしょうか それで皆んな結構な苦労をしょいこんだりする。本当に真面目な人がこころを砕くことになる。そんな感じがしませんか〜
そうなんです。曖昧なものなのです
プルーストの小説に出てくるのは、「不動のものと信じる、そう信じたいという人のココロが不動のものを決めている」ということ。
つまりは人それぞれが自分の中に持っている認識の方法と、その物差し📏、基準のようなもの、「常識」といってしまいましょうか、そういうことが、存在する事物を不動にしている、
という事実です
気をつけてくださいませ
「常識」は生まれてから育った環境であなたの願うか、願わないかにかからわず、人それぞれにつくられいるのです
この世界はけっこうフワフワなのです
でもね、皆自分の中では、鉄板〜コチコチな確信、信念だったりするんですけどね
さらに、さらに、人はみんな気まぐれです。気まぐれでは無い方もいらっしゃって、しっかりとしている方も、いらっしゃって……
そう、いつも確信を持って行動するあなたの様な方を気まぐれが翻弄するかもしれません
また、気まぐれであること、自分の常識は、自分ではわからないものです
頑固、コチコチ、だなって思っちゃうこともあります
私もそう フワフワ、コチコチ わたしの認識、常識で、悩んでしまいますね。
「存在は認識を基盤とする」
認識するから、すなわち、認識したい主体が存在を成立させている
哲学的にはそういうこと
フワフワだったりコチコチだったり、その人だけの妄想だったりしても、その認識に基づいて存在している
気が付きましたか
自分の頭の中では、鉄板〜コチコチな確信、信念が、フワフワとぐるぐる。フワフワ、コチコチ、ぐるぐる、無限♾ループ
はぁ〜 そんなときには、瞑想〜
そう、いい言葉、思い出しました。
人間だもの…… (あいだみつをさん)
ほんと
……
今日はこのくらいにいたしましょ
無限♾ループはまた明日にして
おつかれさまでした
あなたの心のまま、素敵な夢みてくださいね
おやすみなさい〜
ではまた☆