光の速度、今に限りなく近い過去

僕は、来世が嫌いだ。
トラックに突然轢かれて転生するのも、死んだ
後に天国にいくのもそう変わりはない。
もし…あの世の世界とやらを心の底から信じられたら幸せになれるのだろうか?僕には分からないし、別に分かりたくもない。得られない幸せの存在を一つ知るだけだ。
死後の世界…その存在は誰にも分からない。当然だろう。もし本当にあるとしても、それを僕達に伝えられる者は居ないだから。居るとしたら…それこそあの世だけ。そんな事よりも僕が辛いのは、来世をただの戯言だと一笑に付して現実を割り切れない事だ。不可知論だとか何だとかそれらしい言葉を使って知識人を気取るのは簡単だが、結局の所優柔不断なだけだと思う。
よく周りの大人達は「自分がどんな人間になりたいかを考えた上で行動しろ」と言う。なるほど素晴らしい言葉だ。人生の成功者が成功者でいられるのは自分の未来について考え行動してきたからで、そうでない人間は迫り来る未来について碌に考えもせずただ時間を浪費して生きているような、そんな取るにたらない存在という訳だ。成功も失敗も全て当人の実力のみによって決まる、ということにしておけば己の才覚に対する自負と持たざる人間への軽蔑を得られるのだろう。
現時点でさえも今に限りなく近いだけの過去に目を向けて生き続けているのに、どうして未来の事を考えていられるんだ?人々はいつも「悩んでいるのは君だけじゃない」「皆同じような悩みを抱えている」なんて言うが、それならなんで悩みの特効薬が見つからないんだ?もしかすると保険の適用外なのかも知れない。もう少し新薬の値段が安くなればいいのだけれど。

(高校時代のCos3o D1eselより)

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