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あなたの人生の虹は、どの虹よりも美しく見えますよ
虹を見たければ、ちょっとやそっとの雨は我慢しなくちゃ。-ドリー・パートン
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虹ができるには、雨が必要。
しかし、雨や雷雨も、必ずしも、嫌がらねばならないものかというと、実はそうでもないものです。
雨や雷が、「嫌なものだ」「鬱屈する」「苦しいものだ」という潜在認識が自分の中に後生大事にしまいこまれていると、それは条件反射的にどんな雨でも嫌になる。
しかし、雨は大地を肥沃にし、農作物を育たせますし、雨自体も、涼しくしてくれたり、道路を洗い流してくれたり、雨の音の風情を楽しむこともできたり…。
雨=嫌なもの、という絶対値はどこにもないのです。
あなたの人生においてそれが嫌なものなのかそれともあなたの人生を豊かにするものなのか、印象を決めるのは、実はあなた本人だけ。
そして、印象がもたれれば、その現象は、結果的にもあなたの人生において「そのように」使われます。「こうなるから」→「良いもの、悪いもの」では、ないのです。
外を歩く時に白杖を携行する私は、雨に降られると、まず出かけることができません。
雨で視界はおろか、雨の音で方向感覚さえ狂い、足元の感覚がほとんど減ってしまう上に周囲へアンテナをはるのに神経を更にとられてしまい、いつも手がかりとしている道や周囲の情報がほとんど遮断されて受け取ることができなくなってしまいます。
その上、道が濡れていることで、身体のバランスを維持することにも苦労します。
更には、杖で常に片手がとられるのに、もう片方を傘に使わねばならなくなるというのは、周囲を本当に探ることができない…更には駅などに入って傘を畳んだところで、傘のような長物を別の手に持ちながら杖で周囲を探るのは、かなりの芸当です。
(その上、屋内においても雨の日は言えば外側から見れば都合が悪い大変なことがまだまだ出てきますが…)
それでも、雨の日を怖いと思う事、嫌だと思うことは、いずれにせよ私にとって、もう既にこれだけ大変なのにも拘わらず、これ以上に、更に、自分で自分に不利益しかもたらさないので、やめておきました。
周りの環境ではなく、自分で自分の人生を不利に進めていくことほど、馬鹿な選択はありません。
私は、雨も、嫌いではありません。
その後に出てくる虹も…私には、ほとんど認識もできませんけれども、それでも。
雨の音は、私に、雨の景色を伝えてくれる。
雨の日、仕事などでどうしても出かける必要のある時も、最初はそれは決死の覚悟でしたが…、時には、その「大冒険」も、意義を感じます。
そして、大冒険には大冒険の楽しさが、あるものです。
そして、雨の中でどうやって、どこまで周囲の状況を探ることができるか、現在も成長過程です。
そして、私は心理セラピストとして、「雨」を、”我慢”にする必要はないと思っています。
セラピーとしてもコーチングとしても、あなたが人生で虹を見たいなら、見るために、雨をもあなたの中では虹と同じかそれ以上に感じることができる、雨をもあなた自身が心から楽しみ風情を感じることができるような、道をお付き添いしています。
私の人生の環境は「雨」どころではない、という方、
雨など楽しみようがない、私は虹など見られない、
虹を見ることすらもはや怖くなってしまった、
あなたは、ひとりではありませんよ。
まだ、ひとりではない。
その中で、本当に、ひとりになることを選ぶ方々もおられます。
私に、お声をかけてください。
お問い合わせフォームからご記入いただくと、直接私に繋がります。
遠慮なく、お気軽に、あなたのお声を、私に伝えてみませんか。
あなたも、ご自身の人生の美しい虹を、ご覧になることができるのですよ。
そして、あなたも、ご覧になって、良い人なのですよ。