白杖使用者と一緒に、人ごみや狭い場所を歩くとき―視覚障害の歩き方
駅員介助などで、誘導していただくとき、かなりのかたが、例えばホームの狭いところや柱の多い通路、人ごみなどを案内してくださるときに、苦労して歩きにくいやりかたで必死に誘導しようとしてくださるなと感じます。
実は、誘導の中でもいち、にを争うくらいに簡単なごくごくわずかなことで断然ふたりとも歩きやすくなる上に周囲の人たちにもご迷惑が一気に減るのですが、まだまだ周知されていないのだなと感じるので、本日は、
「視覚障害者と歩いているとき、狭い場所や人ごみになったらどうしたらうまく誘導できるか」
を、書いてみたいと思います。
さて、視覚障害者に肘や肩を触らせて誘導してくださっている態勢である中で、例えばこれから、狭い通路に入る、とか、人が多くなってきた、などで、「一列になったら安全に歩きやすい」という場合があるとします。
多分、このシチュエーション、ものすごく多いです。
ひとことで言います。
「視覚障害者に掴まれているほうの肘(腕)を、あなたご自身の背中・お尻のほうに回してください」!
それだけです(笑)
我々、どなたかの肩や肘を触らせていただいている時、誘導者がその腕を背中の後ろに回してくださったら、それだけで、身体が、「あ、一列になるんだな、狭い所なのかな?あ、人ごみかな?」などと感じ取り、自然にあなたの真後ろに行くことができます。
目からの視覚情報ではなくて「身体全体で視ている」というのは、こういうことなのですね。
前を歩きながら手綱を持っているあなたの僅かな動きや手綱から伝わってくる指示で、あなたの意図を察知してついていく馬のよーなものですね。
もちろん、その上に更に「ちょっと人が多いので一列になりますね」などと言葉も添えてくださったらこれは大変親切なご配慮で、なおわかりやすいです!
逆に、時々「その言葉」はあるものの、がっしりと横から私の腕をつかんだままだったり、誘導者ご本人が突然真横を向いてかに歩きになったりされることもあります。これらは、私たちにとって恐らく非常に逆にわかりにくいどころか、両者にとって危険が倍増します。ただ、私がつかんでいるあなたの腕をご自身の腰の後ろに回していただく、ただそれだけで私はとてもわかりやすくスムースにあなたの真後ろを歩くことができるようになるのですが、上記の場合は以下のようなことが起こります。
・がっしりと私の腕をつかんだり支えたまま…
→「私にあなたの背中に、真後ろを歩かせて一列になりたいはずなのに、横からつかまれたままでは一列になれませんよね?!あなたは私にどうしろと?!」
・誘導者が真横を向いてかに歩きをし出す…
→私があなたの腕をつかんだ状態のままにしてくれようとしてくれているお気持ちは大変ありがたいのですが、これをされると、(以前の記事でもこの記事のこの後にも書いていますが)、あなたが「突然横を向いてしまった」ために、「あれっ?!横に曲がるのかな?!」と思い、あなたの斜め後ろに回りついて行こうとしてしまいます。なので、もしも例えばこれが狭い電車のホームなどだったりした場合、突然かに歩きのつもりで横を向かれただけで、視覚障害者のほうがあなたについていこうとあなたと同じ方向(向いている方向)に身体の向きを変えてあなたの背中の斜め後ろにいこうとしてしまい、それこそホームの端から足を踏み外してしまう可能性もあります。視覚障害者は、「あなたに触れていることで、あなたの身体の向きで、進行方向を身体そのもので判断」しています。
あなたのかに歩きが如何にお上手なものであろうと、横に歩かれては、それだけでも物凄くリズムが崩れつんのめった感じになり、バランスがとれず歩くことが難しいです。
ただし!もしも「本当に横に通らなければならないほどにめちゃめちゃに狭いので、私はかに歩きしますから、あなたもかに歩きしてください」というほどのシチュエーションなら、「ここからとても狭いのでちょっと身体を横にして横歩きで進みますね。私の腕つかんだまま、横歩きでついてきてください。」と、はっきりと言葉で伝えてください。が…できれば、そこまで狭いところをそもそも通らない方法を先に選択肢として提示していただけると助かります。(笑)
ちなみに、白杖使用者を誘導するときに、白杖使用者が誘導者の肘や腕をちゃんと触ったり掴んでいるにもかかわらず、その状態で白杖使用者のほうへ身体を捻じりながら一生懸命その腕や身体をぐいっと掴んだり支えようとしながら誘導しようとしてくださるかたがいます。
これ、前回の記事でも書きましたが、せっかく安全にと思って誘導しようとしてくださっているあなたも私も、非常に危険です。
非常に危険である上に、今回のようなシチュエーションのときにも、さっと縦一列になることができないため、下手をするとあなたと私の腕がもつれてすぐに離れることができなくなってしまい、ぶつかったり、ホームの段などから(どちらかや両者ともに)落ちたり、周りの人の人通りにも多大な迷惑をかけたり、エレベーターが開いて乗ろうとしているのになぜかあちこちぶつかってなかなか乗れない、などということも起こってしまいます。
よっぽどその誘導する白杖使用者が足腰も不自由でご自身で歩くことも難しいなどという場合でない限りは、「ただただ自然にあなたの身体の一部を掴まらせて、あなた自身が自然に移動」してください。
何か特別な知識やら技能やら、実は何一つ、必要ないのです!
(ちなみに私は体幹障害と平衡機能障害も少々あるのですが、少々ある、というだけに、逆に余分な力がかかったり身体を浮かせられたりゆっくり過ぎたりするとバランスを失い危険です。よっぽど足腰も不自由な白杖使用者は、恐らくそもそも道端や駅構内などであなたの手助けを求めるほどまでに、ひとりではそこまで来ることすらできていません。)
「ああしたらいいかな、あ、こうもしたほうがいいかな」と頭の中でうずまくあれやこれやに雁字搦めに取り巻かれて、「私とあなた」というヒトとヒトの個人間のコミュニケーションよりも「視覚障害者の誘導!」という方向に傾かれて、逆に何倍もの危険に突入してしまう場合を非常に多く見受けるので、とても歯がゆいところです。
あなたは、その資格を持っているかたでないならば、「視覚障害者誘導の専門家」ではありません。それならば、「誘導の特殊なやりかたや配慮を知っていてできなければ!」なんて気負う必要は、何一つない。それどころか、むしろ視覚障害者本人のほうが、よっぽどその世界にいるのだから知っています。
だから、言葉を発してもらえさえすれば、本人に伝わり本人が答えられるのです。視覚障害者は赤ん坊でも、言語障害でもないのですから。
できれば、「本人との一期一会のコミュニケーションをせっかくだから楽しむつもりで」接していただきたい。
視覚がなくて周囲の風景などもわからない、そして歩くことだけでも非常に集中と緊張をしているだけに、あなたの声と、あたたかい交流をしたい、と、多くの白杖使用者は思っているのではないかと私は感じています。
私は何より、そちらを望みます。どんなに多く「正確」と言われる知識や技能よりも。(なぜなら、視覚障害者だって個々それぞれに違う人間。その接し方に正確・正解などひとつとしてあり得ないのですから。)
その上でもし何かしてくださる意図があるのであれば、「まっすぐ進みますね」「ここで右に曲がります」「あと1Mほどでエレベーター前につきます」など、気楽な会話のなかで、ただの意思疎通のつもりで、「視覚情報を言語化」してください。
視覚障害者が不自由(取得不能)なのはあくまで「視覚情報」なので、これだけで本当に大助かりなのです!
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私や、私の知り合いのかたでこういう情報発信をしておられるかたもそうですが、
いろいろなことを「知ってもらいたい」というような感じに見えることもあるかもしれませんし、確かにいろいろな情報をことこまかに書いているようにみえるかもしれません。
が、しかし、私は、そういう情報発信をし、寧ろこういうことを書くこと発信することによって、それを通して、おひとりおひとりそれぞれ読んでくださるかたのお心のなかで、「ああ、やはり視覚障害者も『視覚障害者』ではなくて、個々のヒトなのだな。ヒトとヒトとのコミュニケーションこそ、初めて補い合い支え合いを生み出すのだな。」「視覚障害者ではなくてそのヒトと私という個と個の相互交流、そして、相手への<興味>なのだな。」と、察して感じていただけたら、と、思っています。
その<相手に対する興味>という、あなたの個からにじみ出るホスピタリティこそは、「結果的」にあなたを、「視覚障害者のこの人を助けるとするならば」という立場から「この人はどう感じるか」という視点に心地良さの中で自然と在らしめるので、どんな頭でっかちに知識をもった福祉の専門家よりも、何よりとても私という個に行き届いた手助けを発揮してくださいます。
そんなみなさまに、どれだけ毎日、街中で支えられてきたことか。
(そして、お互いにあたたかく、不思議とお互いに感謝でいっぱいになっているのですよね。)
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