視覚障害者が嬉しいと感じた配慮―久しぶりのお買い物と新たないくつもの気付き
あれこれと野菜や魚を仕入れたくて、たまに勇気と勢いが揃ったときに飛び込めるようになってきた、徒歩数分のスーパーマーケットへ。
入り口をそろりそろりと探していると、
「いらっしゃいませ。大丈夫ですか?」という訝し気なおじさまの声。
「あ、お店のかたですか?買い物をしたいのですが、品物を探すのを手伝っていただくこと、できますか」と聞くと、
「えええ…?うちにはそーいう係はないんですよねえ…」
「はい(それはそうでしょうねえ)、以前何度かお手伝いしてもらうことできまして…」
「え…何が欲しいんですか?」
「あ、今日は少し色々買いたくて…」
「あー…じゃ、結構時間かかりますか!」と来られたので、
(いや、お店の人なのだから客を嫌がらんといてー)と思いながらも、
多分『前例がないからマニュアルがなくてどう対応していいかわからない。店に従わねばならない店員の自分がこいつを自分の独断で手伝ったり相手にしていいのかどうかわからない』と思っておられるのだろうなと思いながら、
「はい…ちょっと時間かかってしまうかもしれません…」とやり取りをしていると、
「うーん、ちょーっと待ってくださいね」 ちょうど、2か月ほど前にこのお店に来た時に一緒にいろいろ付き添って探してくれた店員のお姉さまが登場したらしい!
すぐさま、「あ、はーい、どうされましたか!」と。
「探すの手伝ってほしい」ともう一度お願いしたら、「もちろんですよー!どうぞー!」と肩に手を置かせてくれました。
その後も優しく元気溌剌、一生懸命付き添って集めてくださり、ありがたくて嬉しくて、真鯛の切り身が予想外にも3切れも入ったパック(無論説明はしてくれた)を買ってしまい、その場で尋ねたら賞味期限はあるようだったので、今週は連日、真鯛週間ということになりました。
実はホスピタリティがない人に当たってしまったわけでも、嫌がられているわけでもないのですよね。
自分に適切な合理的配慮をしていただくことができるように、こちらもしっかりと自律性(自主性・対等性・誠実性を含む)をもってお互いの立場をちゃんと同等に(こちらも)配慮重視した大人の視野で適切に伝える、そして相談・お願いしていくということ。
とても大事。
そして…視覚障害者は基本的に「どこに何があるのかわからない、目移りしようがない、予想外のものを見つけることはできないので決めて行ったものしか買うことができない」ために、衝動買いなどがないぶん節約できるはずなのですが、こうしてあたたかいコミュニケーションで嬉しくなって、つい、その日ちょっと高いなと感じる野菜でも、1切れでいいのだけれど3切れ入っている魚などでも、「あ、ではそれでいいです、それをお願いします」と言ってしまうものだなと、思った日でもあったのでした。
と同時に、その分、そのコミュニケーション、店員さんのあたたかさ、ほっこりとした嬉しさが残り、食材も恐らく他の(例えば晴眼者の)かたがさっと何気なく雑事を済ませた感覚で買った同じものよりも、何倍何十倍もおいしく大切にいただくことができるのです。
そして、やはりちょくちょく行って、顔を知ってもらおう。
初めての店員さんもそうだし、このお姉さんにも、近くに住んでいていつ来るかもしれない常連さんなのだと、認知してもらおうと、改めて思うのでした。
(行ったほうが手間や迷惑が増えると思ってしまいそうになりますが)、寧ろそのほうが、お互いに戸惑ったりびくっとするような思いをしたり、慣れなくてあたふたしたりすることもなく、下町のあたたかいコミュニケーションを引き出しどんどん広げていくことができるのですよね。