白杖使用者は横断歩道、どうやって渡るの?①
横断歩道を渡るとき①
ちょっと考えれば当たり前のことなのですが、白杖使用者は道端では五感をフル活用させその時々の状況を察知するのに必死。
知っていてよく慣れた道でも、まったく初めての土地でも、白杖の先で触るか、耳や鼻や肌の感覚で捉えることのできる情報が知覚できるすべてである視覚障害者は、いったい、目の前に現れる横断歩道などをどうやって察知し、ましてどうやって渡っているのか?というようなところを、ちらりとまず第一弾、書いてみようと思います。
ちょっとだけ考えてみてください。
車道を横断するために作られている横断歩道、これは、「晴眼者文化」のものですね。
道を歩いていて、横断歩道を判断する手掛かりは、「車道を通る横断歩道の白線」と「向こう岸の信号の色」です。これはどちらも、耳や鼻、肌感覚(触ること)で捉えることはできません。
では、白杖使用者は横断歩道という超難関とどうやって相対しているのか?
白杖使用者にとって、道を歩いていて突然現れる歩道の切れ目や横断歩道は、まず、「それをそれとして発見するところ」からです。
実は、私は案外もともと、歩道の切れ目や横断歩道はあらゆる方法で察知していたので、自覚できていないところもあるかもしれませんが、手掛かりとしては主に以下。
・白杖で前を探っているときに、突然横に一線、小さな段差が現れる(歩道の終わり、車道に降りる)
→ただし、これは実はかなり段差が擦り切れるなどで僅かになっていることがあり、気付くことが難しく、いつの間にか知らずに車道や横断歩道に飛び出してしまっていることもあります。かなりの神経が必要です。
・車通りの近づく音。車通りがある程度ある道路であれば、車が走っている怖い音が近づいて来るので横断歩道や車道が近いのかなと予想できます。
・音響信号の音。音響信号がある横断歩道だとわかっていれば、または自分の行きたい方向と直角にもわたる信号があれば、どちらかの信号が青になっているときに「ぴよぴよ」もしくは「かっこー」が鳴っているので、横断歩道が近いと察知できます。
・歩道脇の建物群が突然消えて開けるような音の解放感(や反響の変化)、空気感じ
→つまり、これは目の前を判断しているというより、横を判断しているわけですね。また、4車線くらいあるでかい道路が目の前に現れれば、自分の前方にも拓けた空間がある、と、音の聴こえ方や空気感でわかることもあります。
・視覚障害者用誘導ブロック(点字ブロック)のある道路であれば、横断歩道の直前で、警告ブロック(線のブロックではなく点のブロック)が現れる
→が、これはブロックがある歩道、もしくはあるとわかっている歩道でなければ気付くことができません。そして、横断歩道の警告ブロックは横断歩道の直前にあるため、その前は「進んで大丈夫」という意味の線のブロックであるため、これに沿って進んでいると、警告ブロックに辿り着く前に警告ブロック上で横断歩道の信号待ちをしている人たちがいれば突っ込んでしまうこともあります。そういう場合は誘導ブロックの「警告ブロック」を探していたゆえのことだとご了承ください。どの道、警告ブロックまでは行き着かないと、自分と歩道の切れ目(横断歩道の始まり)との距離がわからず、大変難儀します。
例えばですが、上記のような手掛かりを極力ひとつも取り落とさぬよう、全身全霊でアンテナを張りながら組み合わせ判断&推理します。
まず、これが白杖使用者の「外出時の歩行の常時」です。
その中でも、横断歩道は、上記くらいの手掛かりに限られます。
念のため書き添えますが、白杖使用者ならば音の反響や開け方、風が顔に当たる方向や空気感、足の裏から来る道路の微妙な凹凸などの感覚などを判断できる、というわけではありません。
目が見えない分、他の感覚が優れている、というわけでは決してありません。その辺りは同じ「人間」です。使い方の工夫も、覚えていく・会得する・訓練するなどの必要があるわけです。
(逆に言えば、あなたも見えなくなったらこれらの訓練を集中特訓して、感覚を使いこなし横断歩道も独力で渡ることができるようになる!かもしれない!ということです。)
しかし!横断歩道の渡り方に行く前に、補足しておきます。
上記の手がかりをかき集めてわかるのは、
「ここは…横断歩道…かなあ…?多分横断歩道だろうな。」
という「予想」程度です。
それが確実に「横断歩道」であるかどうかの決め手は、
晴眼者しかわからない暗号…すなわち「横断歩道を渡る前から距離のある車道の真ん中にある白線を見る」「距離のある横断歩道の向こう岸の信号の存在を見る」こと、になっています。
時として、上記手掛かりが複数揃っても、実は横断歩道のない歩道の切れ目(車道)であったり、信号があっても音響信号ではない場所であったりしますので、横断歩道周辺に白杖使用者がいることが見えたら、やはりできる限りのお声がけをいただけますと、本当に助かります。
特に私が怖いのは、やはり「横断歩道ではないという可能性」と、「横断歩道の境(というより歩道の切れ目)だ」ということはわかっても、慣れて覚えているところでない限り、「そこの横断歩道(車道)の長さがわからない」ということです。
横断歩道のわたり始めというのは、言うなれば、海の向こうの島に辿り着くために海に飛び込む、決死の覚悟の勇気。
これが短いならまだしも、実は何車線もある長い横断であったらという可能性があると、わたり始める勇気はでません。
これは、実は音響信号があっても同じです。思ったより長いと、間に合わないことや、まっすぐ歩いていたつもりが途中斜めになって車道に出てしまっていたりすることが本当に多いのです。
さて。
横断歩道を渡るときです。
ここでの主な手掛かりは、自分と同じ方向に進む車たちが走っているかどうか。
自分と同じ方向に進む車が走っている、ということは、自分の行こうとしている信号も青。
私は車の運転経験がなく知識もないので、自分と同じ方向に走る車の音がすると、やはり怖かった。
でも、同じ方向に進んでいる音なら、渡ってOKの手がかり。
また、同じ方向に進んでいる車の音がするのに、ぴよぴよもかっこーもならなかったら、それは赤なのではなく、「音響信号がない」もしくは「信号自体がない」横断歩道である、という判断材料になる。
人や自転車は赤信号でも渡ってしまう人が多い上、赤信号をいそいそ渡るとその分音もはっきりわかりやすいのでつい「あ、人が渡っている音が聞こえた!」と聞こえやすく便乗したくなってしまうが、人や自転車の動きは基本信用してはならない!
ちなみに、特に4車線くらいある長い横断歩道で、音響信号もあるくらいの横断歩道では、横断歩道の真ん中にエスコートゾーンという、一見点字ブロックによく似たようなタイルが一直線に敷かれている横断歩道もあります。
これは、先程も私が書きましたように、例えば晴眼者であれば「向こう岸の何か目的物に焦点を当てて照準をあわせて歩いている(これは幼い頃からみなさん無自覚でやっているはずなので、自覚がなくてもそうです)」ため、「まっすぐ歩く」ということが可能となるのですが、白杖使用者は自分の身体の向きしかないため、まっすぐ歩く、ということが非常に難しい。
そのため、まっすぐ横断歩道を歩いているつもりで微妙な傾斜に誘われてしまったり白杖で地面の凹凸を探っている間に身体の向きがだんだんと代わっていってしまったり、いつの間にか車道に迷い込んでしまったり、ということになりかねません。
そのため、エスコートゾーンを白杖で沿わせながら歩くことができれば、これまたひとつの大きな目印となります。
エスコートゾーンはあけて、歩いていただけると幸いです。
横断歩道はかようにも、白杖使用者にとっては難所です。
横断歩道で待っている白杖使用者がいたら、音響信号があろうがなかろうが、短かろうが長かろうが、
「今、赤ですよ。」
「青になりましたよ。一緒に渡りますか」などと声をかけていただけると、本当に天の声のように助かります。
また、「歩車分離式」という、自分と同じ方向へ進む車が青=私が進みたい方向の歩行者信号が青、とは限らない信号も存在するようですね!
私はまだ出会ったことがない…もしくは、私自身は道を歩いていても気付くことができませんので、もしかしたら知らないだけかもしれませんが、なかなか難しい課題があるものです。
また、白杖使用者はそのように、自分の出会った信号が、どんな信号であるのか、歩車分離式か、一緒の方向なら車も走るのか、音響があるのかないのか、いや、そもそも信号があるのかないのかさえ、自分では調べ判断することができません。
皆様のお声がけが、本当に頼りです。
さて、
「地球の歩き方」になぞらえて、
「視覚障害の歩き方」というハッシュタグで、
X、noteでこうして白杖使用者の移動の工夫などを記していこうと思います。
当事者同士の情報共有としてももちろん、視覚障害者の視覚以外の五感をフル活用した日常の工夫は、晴眼者にとっては実は驚きの連続。思わぬところですごいことができたり、思わぬところで実はものすごく難儀していたりします。
そのような障害理解、相互理解のすそ野も広がっていったら、嬉しいです。
みなさまもこのハッシュタグ、どんどん使ってくださいね。