必要とされている事
誰かに必要とされている事。
人間は誰もが数え切れない様々な恐れの感情を心の奥底に抱えて生きているが、それをとことん突き詰めてシンプルに一本化して行くと、結局何を一番恐れているかというと、世の中に「自分の存在がいても居なくても一緒だと自分が感じる」事、多分これに帰結して行くんじゃないかと思う。
孤独を伴う無価値感の辛さいうのはそれなりの長さがある人生を生き抜いていく上で、中々に耐えがたい手強い感情でそれを感じていると、生命力は相当消耗する。
それを感じたくない為に、自分が不満に感じている出来事を直視しないで、時には感受性を鈍くさせて心の底では本当は居心地など良くもない場所にずっと留まっていたりする。
社会という赤の他人との関わりの中で、誰かに必要とされているという証拠を映し出す鏡である他人が必要なのだ。
ただ鏡が映し出すものはいつも<あなたを必要としています>という肯定的なメッセージを期待していたのに、時には<あなたの存在などみじんも必要ないです>とも取れるメッセージを受け取ってしまったり、使い方を誤ると致命的なダメージを負うこの世の究極の諸刃の剣である為、最高にやっかいでもある🌙
極論を言ってしまえば、本当は他人に必要とされようがされまいが、自分が今ここに存在しているということは、それだけで世界に許可されているという、揺るぎない証拠なのだが、我々の固いアタマはそれだけじゃ究極納得しないように出来ているらしい。
で、今日も我々は自分の存在を確認する為に何か行動を起こすのだ。
もちろんそれに良いも悪いもないのです。
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