誰かに必要とされている事。 人間は誰もが数え切れない様々な恐れの感情を心の奥底に抱えて生きているが、それをとことん突き詰めてシンプルに一本化して行くと、結局何を一番恐れているかというと、世の中に「自分の存在がいても居なくても一緒だと自分が感じる」事、多分これに帰結して行くんじゃないかと思う。 孤独を伴う無価値感の辛さいうのはそれなりの長さがある人生を生き抜いていく上で、中々に耐えがたい手強い感情でそれを感じていると、生命力は相当消耗する。 それを感じたくない為に、自分が不
人間の記憶は階層になっている。 生まれたての赤ちゃんが何もデータの入っていないまっさらなアプリだとすると、時を経ていくに連れて少しづつそこへ着実にデータが上書きされていくわけだ。 そのデータとは人が生きていく上で必要な知識だったり、情緒的な出来事だったり様々だ。 特に強い感情を伴う記憶などは大きなメモリを食うので、それがもう必要の無いデータを精査して削除しなければ、人というコンピュータは時間と共にCPUが遅くなりファイルは重くなり新しいデータが入るスペースは無くなりどんど
昔ある時の中国の山奥での出来事。 老人が立派な馬を一頭飼っていました。 ある日その従順だった馬が突然逃げ出して老人はなんて不幸なんだ!と嘆き悲しみます。 それからしばらくして忘れていた馬が牝馬を連れてひょっこり戻って来ました。 失くしたはずの馬が戻って来て更に牝馬まで連れて来るなんてなんて幸運なんだ!と老人は大喜びしました。 ところが数ヶ月後、その馬がに乗った老人の息子が落馬して大怪我を負ってしまいます。 老人は再びなんて不幸なんだ!と悲しみました。 それからま
大人になると強くなって不安や心配も無くなって毎日穏やかで幸せな日々を送れるもんだとずっと思ってた。 昔からそれを思って何かを目指して、強くなろう!!とやみくもに何かと戦っていた20代。 けど時が経つにつれて、昔はものすごい問題だと思って乗り越えたテーマはもちろん今は大した事じゃないように思えて平気になるけど、何か一つ自分の中で乗り越えると、また次の新たな未経験の課題がやって来る。 これはもしかして終わらないのか・・? 終わりなく巡ってくる世界の中でいつしか薄々感じ始めた
ある日の事、家で吉本新喜劇のDVDを見ていてそこに出演していた女芸人タマヨちゃんのヅラ芸を見て風邪だか知恵熱だかわかんない症状でヘロヘロになりながらソファーに寝そべりゲラゲラ笑っていた私。 そして数日後にかなりトラウマ的な事件が勃発して、相当最低な気分に陥った時に、その波平ヅラから心の仕組みに関する連想ひらめき&気づきスイッチが入った。 自分がある時、どこでいつ被ったのかは自覚がないのだが、波平のズラを知らぬまま付けていたとしよう。 周りの人たちが、いつも何か自分の知ら
毎日同じように見えて日々変わっている日常。 日常は変わらない退屈で平凡な毎日という幻の安心感を与えてくれる。 空の星たちは気まぐれに変わらない。 例え夜空に雲に隠れてしまっていても その向こうには悠久の宇宙が 平坦で永遠に続くように見えて実は不安定な人の日常よりも はるかに広い安定感を持って明らかに大きな力で動いている。 だから私は昔から空と宇宙が大好きなんだ。