ブルーブラックの万年筆
父の遺品整理をしていたら
1974年からの日記に目が止まった。
まめな父は、
その日何をしたか、
いくら使ったか、
自分の親やきょうだいのことについて書いてあったが
当時0歳の私や3歳上の兄のことや、
父親の違う、一回り離れた姉や兄についての記述はなかった。
教員だった父は夏休みが長く、
毎年恒例の滝すべりのキャンプやレジャーで、夏休みが楽しかったのは覚えているが、
夕飯を一緒に食べたり、テレビを観ながら話をしたりといった、お茶の間のことを私はほとんど覚えていない。
ギャンブル好きな父のことだから、夜通し麻雀をしていたのだろう、と
寂しい幼少時代だったと思い込んでいたが、
日記を読むと、定時制高校で夜勤の時期が長かったことを知った。
教員を辞めるまでの葛藤や、自分自身の問題で一日の多くを占めていたのだろう。
子どもが1人、2人と巣立ち、
末っ子の私が18で家を出た頃から
子どもが日記に登場する。
〇〇が帰省した、
また旅立って行った、寂しいもんだ。
といった、出来事に加え気持ちを書き加えていた。
さらに
孫が1人、2人増え、ひ孫も含め13人になるまで
自分のこと以外の予定や書き込みでいっぱいになった。
ブルーブラックの万年筆一色で書かれているのに
なぜかとても色鮮やかに見え、
蒔いたタネが花開いていくのを
幸せそうに愛でていたのだろうと想像する。
実子、養子、分け隔てなく。
そして突然のガン宣告。
「なんでガンになったかのう。
まだまだ、色々見たかったのう。
悔しいのう。」
そう言いながら、亡くなる1ヶ月前まで
誰が会いにきて、誰が去っていったかを
達筆だった父の字からは想像もできない字で
書き留めていた。
この46年間の物語(’74-‘20年までの日記)を通して
私が何を知りたかったのか。
その一見幸せそうな人生よりも、父が握って離さなかった<恐れ>について、
深く追及したくなる自分の衝動に興味が湧いた。
これも、「冒険へのいざない」の一つだろうと
自分探しのもう一つの旅が始まったような感覚があり、ドキドキワクワクしている自分がいる。
次回は
リズ・ブルボー著
「ガン―希望の書〈からだ〉の声があなたに伝えるスピリチュアルなメッセージ」の力を借りて、私なりに紐解いていこう。
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