ネオ西部開拓映画「ノマドランド」に重ね見る、わたしとライフワーク
映画、「ノマドランド」を観た。
経済的困難から車上生活者(Nomad)となった女性、ファーンが
アメリカ西部を旅しながら、新たなコミュニティと自由を見つけるストーリーなのだが、社会問題の深刻さを垣間みつつも
観た後、なんとも言えない懐かしさや安らぎを感じた。
1日経ってみてやっと、この感覚が何に対してなのか、整理がついた。
新しい感覚
現代の物語なのに、
西部開拓時代の、フロンティア精神の要素もある。
時代が錯綜する不思議な感覚になる。
そして、この時代を一度は生きたのだろうか、
美しく懐かしい風景を、視覚ではなく、感覚で見た感じ。
私は昔から、西部開拓の映画が好きで、嫌いだ。
開拓する側の先駆者精神に魅了されると同時に
侵略を受ける原住民側の心情を考えると苦しいから、嫌い。
一方、現代版西部劇の「ノマドランド」は、
開拓と共存を試みる新しい形の生き方を創造しているように私は捉えた。
自由だけど規律がある、孤独を愉しみながらも、共生する喜びを知っている
新しい感覚。
自分と重なる背景
映画の舞台、ネバダ州エンパイアは、リーマンショック後に工場閉鎖が理由でゴーストタウンとなった。
今、事務所を構え活動の拠点としている、福岡県直方市の<リノベのまち門前>周辺も、元炭鉱でかつて産業が栄えたものの、その後の産業衰退による人口減少に伴い、空き家の増加が課題の一つとなっている。
もしかしてもしかすると、我らはネオ開拓者なのかも?!
この地に旗を立て、<リノベのまち門前>を作ろう!という先駆者たちの元、ここ2年で移住者が増えた。
空き家をリノベーションしたり、不動産屋さんや大家さんを巻き込んで
まちづくりをしている。
家族の協力もあり、週末二拠点生活をしている私もまた、
この地で自由と孤独を愉しみ共業し、
私も、私を見送る家族も、自分らしく生きる練習をしている。
そっか、観終わった後に感じた安堵は
日々できることを増やしながら自立していく
ファーンに自分を重ね、共感したからか。
わたしの物語
劇中、印象的なセリフが二つある。
「’HOUSE'は建物だが、'HOME(居場所)'は心の中にある。」
自分らしく生きる練習をしたい人が<リノベのまち門前>を訪れ、癒され
とどまったり、次の地に旅立ったりする、<拠点>となる。
私は、自分らしいインテリアやDIY、住まい作りを通して、
自分の<居場所|HOME>を心に持つことができる人の育成に情熱を燃やしているし、そんな場所にしたいと思っている。
「There is no final "Good-bye ". They say, "See you down the road"」
ノマドたちは、最後の’さよなら’は言わない。
’また道の途中で会おう’って言うんだ。
旅立つ人に対しては、
また会うかもしれないし、会わないかもしれない。
でも、その人らしく生きていくだろうという想いを込めて見送るだろう。
まだ物語は途中。
舞台設定もキャストも日々変わる中、
自分の情熱を全うしよう、と
晴々しい気持ちだ。
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