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部族的信念とコロナウィルスと調和

「部族的信念」と、「コロナ」について調べようと検索にかけたら、
ひーちゃんのこの記事と、サロン・ド・フォンセのこの記事がヒットした。
二人は所属するコミュニティのメンバーで、
知りたいことは仲間がそれぞれの’気づき’として、過去に記してくれていたのが、何とも嬉しかった。

そもそも、なぜその言葉で検索をかけたかというと、

お盆休暇中、実家の大分に帰った際に、
私を含める6人がコロナにかかったから。
なんなら、福岡から’持って帰って広めた’形になった。

なんらかの部族的信念に囚われている人が集団感染にかかりやすい、ということは学んできたことなので
福岡から、どんな部族的信念を持って帰ったのだろう、と思い巡らせた。

・きょうだい皆揃うし、お盆だし、帰省するもんだろう
・’年の三大休暇は、絶対大分で過ごしたい!’という子どもたちの欲求をきいてやりたい
・持病持ちで今年米寿の母と、後何度一緒に過ごせるかわからない思い出は作るべきだ

どれも、恐れからの選択だし
誰のかもわからない、古い部族的信念だし
そもそも、ここに’私’はどうしたい?がない。
自分との調和がまるでない、ことに気づいた。

リズ・ブルボーによると
集団感染は、’自分がウイルスを撒き散らし、調和を乱すような人だと思われたくない、という恐れからくる、と言う。
(この↑恐れは’イイヒトでいたい’という不安からの欲求からくるものだが、これはまた後日「インサイドヘッド2」を絡めて考察する)。

今回のコロナ感染は
自分と自分の欲求との間に調和がないのに、
自分ではコントロールできない、自分の外側と外側の調和を重視していた結果起こった、と言う結論に行き着いた。

ここでひょこっと出てくるのが
「こんな信念、大事に抱きしめているなんて未熟だ!」と責める自分がいるが、
この記事のように
古い部族的信念も含めた私を今の私が内包し
さらに刷新していく

その先に、
自分x自分の欲求と、その周りとの調和(◀︎ここは自分の個性的にとても大切にしていること)が
私の真の欲求だと気づき、
じわぁぁぁと温かい水が体を流れていくのを感じ、ほっとした。
ほっとしたら、体が一気にダルくなった。
今日はよく寝れそうだ。

今回の帰省は、忘れられない旅となった。







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