好きな人と自己肯定感〜恋人がいればね、と言われた話。
以前、確か1年ほど前。その頃私は異性関係こそあったものの、恋人は一度も出来たことがない状態だった。中学生くらいまではまだ憧れのあった恋人という関係も、異性を知るたびに憧れは薄れ、22歳になる頃には付き合うという事に全く意味を見いだせなくなっていた。
好きな異性もおらず、 そんな私が毎日過ごす中で考えることはたいてい自分の将来に対する不安と、その不安から逃れるために努力しなくてはいけないという、しかし思ったようにそれらをこなせない事による耐え難い焦燥感。更に自分が異性をはじめ、あまり人に心を許せずに人と話す時いつも緊張してその緊張を隠すために愛想ばかり振りまいて、その結果起こる周囲の自分に対する評価と自分で自分に対して認める評価とのひどいギャップ…、それらの生きづらさを全て両親のせいだと思わずにいられなかった。
家にいれば自然と家族の存在を意識してしまい苛立って、しかし自分の生きづらさを家族のせいにする自分も責任感がなく自分勝手だとしか思えず、それならば家族に対して感じよくしなくてはと思って、それがうまくできる日もあれば、できない日もあって、そんな自分の不安定さに苛立ち、一生自分は家族に対する恨みがましさや、自分に求める人間性と現実とのギャップからは逃れられない気がして、毎日、ほんとうに毎日、絶望感に襲われてばかりいた。
そんな中で、それを大した事ではなく、誰にでもある悩みできっといつか忘れられるのだと思いたくて、友人に相談した事があった。
その友人に言われたのが、「恋人がいればすこしは気が楽になるかもしれないのにね」という事だった。正確にはすこし違ったかもしれない。
その友人が言うには、恋人がいれば寂しい時には慰めてもらえるし、心の拠り所があるのは大きい、との事だった。
今年に入って初めてまともに恋人が出来て、急に彼女のその言葉を思い出した。その言葉は、確かに正しかった、と思う。正しかった、いや、的を得ていた。私はやはりなにもその「心の拠り所」が恋人でなくても良いとは思う。けれど恋人ができて、確かに私の考えることはだいぶ変わった。
まず、自分は一生誰ともまともに付き合えないかもしれない、という不安は一切消え去った。きっとそれは一番大きかった。
彼と付き合うまで私がふだん考えていた事感じていた事は、先述したように自分の将来に対する不安と現実の自分に対する焦燥感、現実への不満からくる家族に対する苛立ちばかりだった。
彼と付き合って、今後一生誰ともまともに付き合えないかもしれない、という不安が消え去った事で、家族に対する苛立ちもすっと消えてしまった。ほんとうに不思議だけれど、自分の将来に絶望感を抱き、家族に苛立っていた時間は、彼になんと返事を出そうか、とか、彼と今度の休みはなにをしよう、とかそんな事を考える時間にすっかり変わった。
きっと彼が比較的マメに返事をくれたり、愛情表現をしっかりしてくれる事も、私の考え方がすっかり入れ替わったことの要因だと思う。
だから誰もが、恋人さえできれば幸せか、と言うとそれは違うだろうと思う。
ただ私が彼と付き合って感じたのは、
「好きな人・好きだと思える人」に出会うことが出来たら、救われるところは大きいんじゃないかな、という事だった。
その相手はなにも異性である必要も、恋愛相手である必要もないと思う。人間としての憧れを抱ける人をひとりでも見つけられたら、その人の事を考えられる時間ができることで、嫌でも簡単には逃れられない苛立ちからも幾分かは逃れられるだろうと私は思う。
今は簡単に、新しい知人を作れる時代だ。その分、悪どい人に会う機会も自然と多くなるし、人を嫌う原因もできやすいけれど、一方で自分と感性の合う人にも出会いやすい。
誰もがひとりでも良いから、好きになれる信用できる人に出会えたら良いなと思う。
そして好きでいさせてくれる人たちに、感謝を忘れずに。
信用できる人は、やっぱり貴重だ。