「あたらしい船(物語)」②

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今日は明るいけど寒いですね…。

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 記憶はどこに秘められているのか。ひとつに匂いがあるとよく言う。七月の匂いは、八月という祭りと長い休暇への期待と、一方で自分から動かない事には行き場のない事への焦燥感を漂わせ。八月の匂いは、けっきょくこの八月の孤独を拒めなかった事への絶望と、自己否定に満ち。九月の匂いは、やるせなく逃げ場のない八月がようやく過ぎ去り、そして八月によってより孤独な部屋の隅へ押しやられた事による諦めと、いつそこから出てももう八月の魔物は居ない事への安堵を感じさせる。

 いつからか八月はわたしにとって抗いようのない恐ろしい怪物のような存在になり、九月の頭はその怪物をやり過ごした事でなんとなく呆然としている。

 そんな時、ひとりで部屋にいると様々な忘れていた事がふと蘇る。

 語学をしなくてはと思い、部屋で教科書を広げていたわたしの筆は全く進まず、わたしは結局コスモスの花言葉を想っていたのだが、ふいに彼女の震えた声が頭の中で静かに灯った。

 「ねぇマイちゃんさ、また大人っぽくなったね」

やけに恐ろしそうにそう言う彼女にわたしはいつも笑った。

「あっはっは。ほんとう?ランコちゃんと会う度に年取ってるわ」

 ランコちゃんとはたった二年間の付き合いだった。保育の専門学校で、それこそ最初の授業の日になんとなく隣に座ったのがきっかけだった。最初のうちはお互い気を使いすぎる質なのもあって、時々話に詰まっては気まずい思いをした。それでもなぜか信用できる相手とはいるもので、わたしはランコちゃんに対してはいつも一定の信頼を置いていた。それはランコちゃんも同じだったようで、知り合った年の夏、ふたりで夜九時にタピオカを飲みながら、壁掛け時計が苦手なランコちゃんは言った。

「わたし、なんかマイちゃんとなら時計屋さんへも行ける気がするもん」

 その日は八月で、わたしは例年のように八月の絶望と虚無の中を耐え忍ぶように過ごしていた。ランコちゃんの言葉にわたしは、わたしもランコちゃんとなら飛行機に乗れる気がする、と答え、自分と両親の話をした。

 親っていうのは抽象的な存在だと思うんだ。形じゃないよね。親に親たる意思がなければ親じゃないと思うんだ。親たる意思ってなんだろうと思うけど、わたしの中ではそれは子供に対する責任ある信頼と、尊重のある愛情だと思うんだ。どうしてなんだろうね、同じ親から生まれても、ひとりは親の着付け薬かペットのような扱いを受けて、もうひとりは人間の自分の子供として扱われるんだ。なんて、そういう風に捉えるわたしはおかしいんだろうかね。

 わたしは親にこうされた、こういう風に扱われていた、って想いがあるけれど結局記憶なんて頼りのないもので。覚えている気もするのに、いつもぼんやりとそれこそ濃霧を覆ってしか見えなくて。だからわたしは十八になって自分が専門学校に入学するまでの記憶があるようでないようなものなのよね。わたし、ほんとうにこれまで生きてきたのかなって思うんだよね。

 と、そう話したのだった。わたしの記憶はほんとうに朧げで、少しでも嫌だと言って従わなければ、痣がつくほど強く腕を握られ、脳が震えるような平手打ちを頬に受けた、こんな父への記憶もほんとうにはなにもなかったのかもしれない。


 「おかえり。風呂入って。今なら誰も入っていないから」

穏やかな声でそう言われると、わたしは自分の記憶の所在をなくしてしまう。

 「タイムマシーンがあれば良いのに」

いつかそう、ランコちゃんに話した。

「そうすれば自分がどんな風に過ごしてきたのか。ほんとうにはどうやって生きてきたのかがわかるじゃない。父と母はわたしに何をしたのか。それが証明されるじゃない」

イチゴのショートケーキを食べていた。子どもの頃はイチゴは最後まで残してく質だったのは、確かに覚えている。今は全く変わってしまった。最初でも最後でもなく、ケーキを半分食べて少し胃もたれしてきた頃に口へ入れるのだ。

 「わたしはもう人間の生まれる前の地球に生きたい。それで皆が生まれてくる前に、食べるものも飲むものもなく、日照りに干されて死にたい」

わたしの言葉にランコちゃんはフォークを止め、言った。

 ランコちゃんとは卒業してから三ヶ月の間に五回会った。

 卒業して四ヶ月が経過した七月のある日、わたし達は前日も連絡を取り合っており、夜中の零時にランコちゃんから「父親がまた酒飲んで暴言吐きまくった挙げ句に車でどこかに行ったんだけど」「お風呂入ってくる」と短いメッセージが来た後、わたしは「またか。きついね。飲酒運転して車を暴走させてもなぜか捕まらない人っているよね。運の配分間違っている」と返事を出した。そしてその後夜が明け、また昼が近づいて「ほんとうだよね、間違ってる」という言葉の後、二十分ほどの時間を置いてから、

「わたしはマイちゃんみたいに何でも話させてくれる友人に出会えて幸せだ。いつもほんとうにありがとう」

と短くメッセージがきた。わたしは「わたしもランコちゃんほど何でも話させてくれる友人はいない」だから「幸せ」で、その事に「ありがとう」と言った。

 あの日から一年と二ヶ月が経過した。返事は未だない。

 ランコちゃんの声は独特だったな、と思い出す。忘れもしない。あの子の声はいつも震えていて、喋るごとに空気が湿るようだった。



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一言でもアドバイス・感想等頂けたらすごく嬉しいです…!

書いて部屋に置いといても、誰にも読んでもらえないので…。

③は今夜か、明日あげます。


今日もコロナ鬱に負けず、えいえいおー!

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