親の責任と子の自立

親のちょっとした選択ミス等によって、子どもが後々に生き辛さを抱える事はよくある。

抱えきれない生き辛さを持ってしまった人たちは、どうにかしてそれを癒そうとする。それは時に危険だったり、身勝手だったりする。

十代のうちは、それらの反発は周囲の大人も理解を示そうとしてくれるかもしれない。しかし遅くても二十代に入ってしまえば、生き辛さの葛藤として表に現れたそれらの行動は、周囲の人から、「社会不適合」と認知され、呆れられ、拒絶される原因になりもする。

例えば、周囲に理解されない突飛な行動、過度のナルシシズム、自傷行為、売春、ドラッグ、恐喝・・・。

それらに走る原因は、生まれ持った性格、だろうか。

明らかに親に原因のある場合もある。そうした場合、親はどこまで責任を負えるだろうか。また、負うべきだろうか。

子どもの頃に、受けた傷や、与えられなかった愛情や注目が、その人にどれだけの影響を及ぼすのか。それは、そうした苦悩を持つ人にしか実感としてわからないものだ。

ここで一つ話をしよう。

これは数ヶ月前の事で、私は当時とある居酒屋に通っていた。その頃の私は、家に帰るのがなぜか怖くて、本来なら最寄駅から十分で辿れる帰途を二時間、三時間と大回りして帰っていた。それでもどうしても帰れない時、その居酒屋へ行った。私は自分が、どうしてこんなに家を恐れているのか、自分でもわからずに悩んでいた。他にも、友人関係や、異性関係にまつわる多様な価値観で悩んでおり、それらの負担を自分で解消しきれていなかった。改めて思い出してみて、身勝手だったと自分で思う。私はその居酒屋で、いつも盛大に酔っ払ってしまっていた。私は周囲の人曰く、酔うと手が付けられない位、周囲の人間に甘えてしまう。それは特に、同性である女性からは嫌われるような酔態で、事実私はその居酒屋の女性陣の数人にひどく嫌われていた。

だがある日、様々な負担についに耐えきれなくなって、酔った勢いで、思わず号泣してしまった。その時に、それまでに家庭であった事や両親に対する不信感を吐露し、もう生きていける自信がない、というような普段は思っても絶対に口にしないようなことを言ってしまった。

すると、ひとりの女性が私の頰をぶった。「そんなこと、言わないで」と言って、私にどんな価値があるかと、泣きながら話してくれた(ぶつのはやり過ぎだけれど)。その女性は、周囲に「酒ヤクザ」と言われるような女性で、その時に女性は自分の生い立ちも話してくれたのだけれど、相当辛い思いをしているらしかった。その女性は私に語りかけながら、「最初はこんなぶりっ子と仲良くできるかよと思っていたけど」と二回ほど言った。

「最初は」とか言っていたけれど、私が泣き出す直前まで私のことを嫌っていたと思う。その一週間ほど前に会った時には、酔った勢いで、あまり文字起こししたくないような言葉で罵られた記憶がある。

しかし家庭でこういう事があって、自分はもう耐えられない、と言った途端、その態度の豹変よう。私は少し、安易すぎると思った。しかし言いたいのは、そういう事ではなく、

では何か、と言えば。

どんなに嫌っている相手でも、放って置けなくなる程、家庭で辛い思いをしている人にとってそれは、切実な問題なのだ、という事である。

その「酒ヤクザ」と言われている女性以外にも、同じようなことが二度あった。

いつまでも過去を引きずっていてはいけないのは確かだと思う。しかし明らかに傷ついているのに目を背けた挙句に、気づけば病院か刑務所に送られることもある。

親にも責任があるというのに、気がつけば、子供がひとりでその責任を負っている。そういう事を思う機会が、なぜか多い。

以前「beautiful boy」という映画をみた。ざっくりと内容を言うと、(※ネタバレ注意)もともと幸せな家庭で生まれた主人公は、両親の離婚、再婚を機に少しずつ精神が乖離していく。そしてドラッグに手を出し、気がつけば身を滅ぼす寸前になっている。

始めは、我が子のために奮闘する親だったが、なかなか救えずに、やがて見捨てる覚悟を決める。見捨てられて、息子はようやく立ち直ろうと本気になり、親はまた手を取るが。

と言うストーリーだった。

映画を見ながら、親が見捨てることを決める場面では、そりゃ親にも親の人生があって然るべきだし、いつまでも救い難い息子のために苦悩する必要はないよな、と言う想いと、でも息子は親の選択ミスもあって、幸せや安楽を知らないまま薬に溺れて、世間に溶け込めないまでになってしまっているのに、その責任は何処へ、と言う想いがあった。

親が一度距離を置くことに、私は意味があると思う。それまでに親が必死に、助けようと奮闘した場合。子どもは、親の注目を浴びたくて反抗している可能性があるからだ。うまく甘えられれば、良いけれど、そうもいかず、そう言った暴挙に出てしまう子どもは多い。

それがある時を境に親の注目を暴れる事では得られなくなれば、親を恨んでいたわけでも、人に迷惑をかけたいわけでもなかった子どもは、ただ焦る。そうして自立する時がやってきたのだと思い知る。

子どもがその自立する時を悟り、立ち直ろうとした時には、どうか親にはそっと見守ってほしい。

親の責任は、最後までただ子どもを信頼することにあると思う。

そしてどうか、生きづらさを抱える人は、自分を自分で愛せるようになれば良いと思う。

子どもが親のした事を、許したくないのであれば許す必要はないと思うし、それらの責任を負う必要もないとは思う。ただ、自分の気持ちを把握し、前向きに生きたいのなら、そう生きられるように、自分自身の行動には責任を持てるように努力しなくてはいけない。

な、と私は自分自身に対して思う。

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