見出し画像

多くの人が「努力」が大切だと言いながら「才能」に惹かれている

こんにちは!

こしあんです。

あなたは、何か人に自慢できる才能を持っていますか?

子供の頃、「こんな才能があったらいいな~」と憧れを抱いたことがありませんか?
ドラ〇もんの歌ではありませんが、あんなことやこんなことができたら面白そうだな~と考えたりもします。

さて、誰もがあったらいいなと思う「才能」ですが、これだけで成功した人はいませんよね。
あなたも年配者から「努力」が大切だと口を酸っぱくして言われてきたのではないでしょうか。

ただ残念なことに「どんな努力が大切か」とか「目標達成するための努力は何が必要か」といった具体的なものを提示する人は少なかったような気がします。

そんな「努力大切マン」ですら、ほとんどの人が実は才能に惹かれているのでは?というお話をしていきます。



【才能だけでは成功することはできない】

どれくらい前になるかわかりませんが、あなたが学生だった頃を思い出してください。
あなたがいるクラスで一人か二人、抜群に勉強ができる生徒がいなかったでしょうか。

たとえば、数学でたいしたヒントが与えられているわけでもないのに、問題のパターンを掴んでしまい「わかった!」といって例題を解いてしまうような人物です。

私はどちらかというと、それを見て「頭が良い奴っていいな~」と思っている側でした。

しかし、面白いもので最初の学期の成績が出ると、能力の高い生徒たちの成績があまり良くなかったり、下手をすると悪かったりすることがあります。

「なんであんなに理解するのが速いのに、成績が悪いんだろう?」と考えたりしますが、この時点でほとんどの人がその子の「才能」に目がいっていると考えられます。
(理解力もあって、努力している人は成績が落ちることはほとんどないでしょう。)

逆に、最初は問題が解けずに苦労していた生徒たちの中には予想以上によい成績をとる生徒がいたりもします。
このタイプの生徒はめげずにコツコツと努力を重ねていることが多かったりするのもです。
ペンシルベニア大学心理学教授のアンジェラ・ダックワースは教師だった頃、才能によって運命が決まるとは考えず、努力のもたらした成果が重要なのではないかと考えました。

しかし、ほとんどの人が「努力」は大切だと言いながら、「天才」を評価してしまうことがわかっています。



【才能に惹かれていることがわかる実験】

「成功するためには、才能と努力のどちらがより重要だと思いますか?」という質問に対し、アメリカ人の場合は「努力」と答える人は「才能」と答える人の2倍にもなるそうです。

運動関係に関する質問でも、同じような結果が出ることがわかっています。ほとんどの人が意識下では「努力が大切だ」と言うわけです。

ではちょっと質問を変えてみましょう。

「新しい従業員を雇うとします。知的能力が高いことと、勤勉であることではどちらの方が重要でしょうか?」

あなただったらどちらの従業員を雇いますか?

実験の結果、「勤勉であること」と答える人は、「知能が高いこと」と答える人の5倍近くにも上ったそうです。
これは、ほとんどの人が、能力よりも人柄を重視していると言えるかもしれません。

さて、ここまでは多くの人が勤勉さや努力を大切なものとして評価していることがわかりました。
最近では、何かをコツコツとやり続ける「誠実性」や、最後までやり遂げる「やり抜く力」など非認知能力と言われるものがとても重要だと言われています。

でも、本当に私たちはそんな風に考えているのでしょうか?

たしかに、心理学者チアユン・ツァイが音楽家にした調査でも同様の結果がでています。
「生まれながらの才能」よりも、「熱心に練習すること」のほうが重要だと答えたそうです。
しかし、ツァイが他の実験でもっと間接的な方法で人々の心理的傾向を調査したところ、違う結果が出てきました。

それをご紹介しましょう。

まず、参加者(プロの音楽家たち)に対し、同等の実績を持つ2名のピアニストのプロフィールを紹介します。
次に、参加者たちはその2名のピアニストの演奏を収録した短い録音を聴き比べました。
ただ、実際にはある一人のピアニストが同じ曲の別の部分を演奏しています。

ではプロフィールを紹介しましょう。
1人目は「才能豊かで、幼少期から天賦の才を示した」と書かれています。
2人目は「努力家で、幼少時から熱心に練習し、粘り強さを示した」と書かれています。

するとどうでしょう、努力は大切だと言っていた音楽家たちも「天賦の才」に恵まれたピアニストの方が、プロの演奏家として成功する可能性が高いと評価したんです。

さらにツァイは、別の分野でもこの矛盾が見られるかを確かめるため、実験をしています。
ツァイは、起業家は勤勉な努力が求められる職種だと考え、新米からベテランまで数百名の起業家たちを集め、無作為に2つのグループに分けました。

第一のグループの参加者には、「努力家タイプ」の起業家のプロフィールが紹介されました(勤勉さと努力と経験の積み重ねによって成功を収めた)。

第二のグループの参加者には、「天才タイプ」の起業家のプロフィールが紹介されています(天賦の才によって成功を収めた)。

次に参加者たちは、その起業家による事業計画のプレゼンテーションの録音を聴きます。
実際には、どちらのグループが聴いたのも同一の録音でしたが、第一のグループは「努力タイプ」の起業家のプレゼンを聴いたと思い、第二のグループは「天才タイプ」の起業家のプレゼンを聴いたと思っています。

まぁ、プロフィールを見てから録音した音声を聴けば、ほとんどの人がその通りの経歴の人が喋っていると思いますよね。

結果は、音楽家を対象に行った実験と同様に「天才タイプ」の方が起業家として成功する確率が高いと評価されました。
しかも、事業計画の内容についても高い評価を得ていたんです。

また、参加者たちにどちらを支援したいかと尋ねた場合、やはり「天才タイプ」を選ぶ確率が高いこともわかりました。

とても面白い結果だと思いますが、結局私たちは「努力が大切だ」と言いながら、「才能」を評価しているという二面性を持っていると言えるのかもしれません。

つまり、同じ能力なら「努力家」よりも「天才」を評価してしまっていると言えるのではないでしょうか。

でなければ、努力によって成功を収めた人のことも「生まれつき才能があったに違いない」と決めつけたりすることもなければ、活躍している人を見てはその才能に憧れることもありません。

よくテレビなどで、天才的な「スーパーキッズ」と言われる子供たちが特集されたりしますが、抜きんでた能力や打ち立てた記録ばかりが注目され、なかなか日々努力している地味な部分は触れられていないと感じることがあります。

私たちは、活躍している部分だけを見せられ、その子がさも当然のようにいろんなことができると錯覚してしまうのです。
どうしても「天才」というフレーズに引っ張られるあまり、正しく評価できていないのではないでしょうか。
「この子は特別だ」といったことや、「才能があるなんて羨ましい」といった考えに陥り、その子の努力している部分を見落としているような気がします。

【なぜ人は努力よりも才能に惹かれるのか?】

私たちは優秀なアスリートを見ると「あいつは天才だ!」とか「素晴らしい才能の持ち主だ!」と感じたりします。
この瞬間、その人の「才能」に目が行っていることは前半で書きました。

ただ、アスリートたちの素晴らしいパフォーマンスを見たとき、私たちは確かに魅力を感じています。
そして偉業を成し遂げたときには、まるで自分の事のように感動してしまいますよね。

では、実力の近い者同士の場合はどうでしょうか?

例えば、オリンピックの代表入りをかけた戦いの場で、「あいつスゲーな~」の一言で済むはずがありません。
「どうしたらあんな風になれるのか?」、「追い越すためには何が必要か」といったことを考えるのではないでしょうか。

ほとんどの人たちは「オリンピックに出場する人は、才能もあるし、技術も持っている」と考えると思います。

あなたはテレビに出るようなアスリートたちのことを、何となく違う世界の住人のように感じることがありませんか?
「私はオリンピック選手を身近に感じている!」という人は少ないと思いますが、この時どのような心理が働いているか?

私たちは神秘的なものや驚異的なものを感じたとき「この人は別格だ」、「特別だ」と考え、神格化してしまっているんです。
また、そうすることで自分を守っているとも言えます。

その人の「才能」に焦点をあてれば、「努力したってどうしようもないよね」と考えることもできますし、才能のせいにすれば引け目を感じなくて済みます。

ニーチェの言葉にもこんなものがあります。

「我々の虚栄心や利己心によって、天才崇拝にはますます拍車がかかる。天才というのは神がかった存在だと思えば、それにくらべて引け目を感じる必要がないからだ。『あの人は天才的だ』というのは、『張り合ってもしかたがない』という意味なのだ」

しかし、あまり努力、努力と言うと「才能がなくてもどうにかなる」と感じる人もいるかもしれませんが、誤解のないように言っておきますと、努力は必ずしも報われるとは言えないし、「才能」はないよりもあった方がいいです。
その分野での才能があるとわかれば、努力によって他の人より早く抜きんでることができますから。

ただ、アンジェラ・ダックワースは「2倍の才能」があっても「2分の1の努力」では負けると言っています。

例え才能が人の2倍あったとしても、人の半分しか努力しない人はスキルの面で互角であっても長期の成績を比較した場合、やはり努力家タイプの人に圧倒的な差をつけられてしまうそうです。


大変地味ではありますが、結局は日々の努力が大切になってくるようです。
しかし、ただ「努力する」ではいけません。
がむしゃらに頑張るだけではダメ、無計画に頑張るのもダメ。
大きな目標を決めてそこから逆算し、努力の方向性を決め、時には練習方法を変えてみるといった変化も取り入れながら、日々努力していく必要があるようですね。


今回はここまで

noteの内容を気に入っていただけたら
励みになりますのでスキやフォローも
お願い致します。

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた次回お会いしましょう。

※この記事は読んだ本をもとに考察し、私の経験したことなども踏まえて書いています。
そのため、参考にした本とは結論が異なる場合があります。
あくまで、一つの意見として見るようにお願い致します。
※書いてある文章は予告なく変更する場合があります。ご了承ください。

▼引用元書籍

▼こしあんのkindle本


いつも温かいサポートありがとうございます。 いただいた資金は次の活動のため、主に本を買うことに使わせていただきます。 そして、それを元にまたどんどん情報を発信していきます。