怒りをとろ火で煮込む週
時々、他人から発せられた言葉に「カチン」ときて、その後1週間くらい、怒りがぐつぐつ煮え続けることがある。
幸せを感じることができない人間は食に走るようにできている、食えば自動的に幸せを感じる機能があるからだと誰かが言って、
いやなんか食ってそれで幸せならそれを幸せとすればいいじゃん、それを幸せじゃないと思うのはひねくれているだけだ、と言った。
いやあんたも大概ひねくれてるけどな、と答えが返ってきて、「カチン」ときた。
ある考え方に対してひねくれてるって思っていいのは、ひねくれてないやつってか。
そんな奴いねえだろ。
素直に幸せを受け取ったらいいじゃん、と誰かに言う事がお前に許されてねえよ、と言われた気がして、私はずっとずっと腹が立っている。
ひねくれなきゃ生きてはこれなかった。
まっすぐに生きようとしたら死ぬしかなかった。
50歳手前にもなって、大学でもっと勉強すればよかったとか、そもそも選んだ高校が悪かったとか、言い訳をつらつら並べてるお前が何を偉そうに。
考えすぎなんだろうけど、むかついた。
めちゃくちゃむかついた。
焦げるまで煮込んでそんで、鍋ごと捨てる。