「共感が感動を生む」ために考えておくべき「5つのP」(もしくは5つの「ど」)
2016年に「DESIGN WEEK KYOTO」をスタートし、京都のものづくりの現場をオープンし、交流を促進することの重要性を発信してきた。そこで大事にしているのは、単に製造の様子を見せるのではなく、「作っている人の思い、理由」といった心をオープンすることだ。心をオープンすることで、良い交流、思いへの共感、そして感動に繋がっていく。
この重要さをTEDxKyotoやMilan Design Weekでもお会いした尾原和啓氏が「プロセスエコノミー」で詳しく書かれていた。
商品やサービスそのものは、インターネットで一瞬にして広まるため表面的に似たようなコピー品が出回るのも早い。しかし、その商品やサービスが生まれていくプロセスは、その生み出した人や会社などの独自のストーリーがあり、そこに人が感動し、価値を感じ、応援したくなる、という内容だ。
僕はこれを「真正性」(Authenticity)とし、それを構成する要素をどこかの経営本みたく「5つのP」として整理している。それぞれの頭文字をとって整理したものだが、日本語だと「5つのど」になる。このへんは所詮覚えやすくするための言葉遊びなので、肝心なのは中身。
①機能→②情報→③意味と上にいくに従って、現在では重要度が高まっている。機能が優れていることはもはや当たり前で、それがどこでどうやって作られているかという情報を開示することは透明性を担保する意味でも大事である。どこでどう生み出されたか怪しいもの、人権無視で作られているかもしれないものは論外という時代になってきている。
その上で、どんな人が、どんな想いで作ったのかという「意味」の部分がストーリーを構成していく。
今まで「良いものを作っていれば売れる」と信じて研鑽してきた人はたくさんいて、その努力自体はとても尊いし、長年の蓄積によって到達した高度な技術の素晴らしさには尊敬の念しかない。
その上で、その人の今に至るまでの生きざま、努力を支え続けた理由や情熱、そしてその製品やサービスに込めた想いや背景などをしっかりと伝えていくことが、相手への共感を生み、感動へと繋がり、熱烈なファンへとなっていく。
とはいえ、そういった自分の生きざまや想い、背景を自分で語ることへの抵抗感は恥ずかしさは(僕にだって)ある。また、そもそも自分で自分のことを分かっていないということもあるだろう。
だからこそ大事なことは価値観が異なる多種多様な人たちとの交流なのである。色んな人からの何気ない質問等によって、自分でも気づいていなかった想いが思わず口をついて出る経験は誰しもしたことがあるはずだ。「あ、自分ってこんなことを考えていたんだ」と。
こういった価値観が異なる人たちと普段からできるだけ気軽な交流の機会を持てているかが自分のことを客観視することに繋がる。(こういう場のことを「デザイン・ディスコース」とも言う)
また、自分でそれに気づいても自ら話すということに慣れていない人も多い。僕自身は、「黙して語らず」「職人は背中で語る」といった姿勢に渋さ、カッコよさも感じる部分もあるので、それも一つの価値観や姿勢であると思っている。
とはいえ全く語らないと、そもそも存在していないのと同じことになるし、共感・感動にも繋がらない。だからこそ自分のことを知った上で、語るときは他者の手(というか口)を借りるというのも良いと思う。
僕が作り手の方々に話していただくときに、極力ファシリテーターあるいは対談相手としての役割を担い、質問を投げかけて答えてもらうやり方にしているのは、この理由による。
手法はさておき、自分の生きざまや想いを普段から対話・交流を通じて掘り下げて自覚し、それをストーリーとして発信していくことが共感・感動への第一歩につながると考えている。
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(トップの写真について)
上記の5つのPなどの内容とは一切関係ない金木犀の花。
9月9日は重陽の節句。陰陽五行で奇数が重なる日は節句として位置づけられ、最大の数字の9が重なる9月9日は最重要の節句で邪気を払う習慣が根付いた。旧暦の9月9日は現在の10月中旬にあたり、その時期の花は菊が咲くため、菊の節句とも言われる。菊は邪気を払う力を持つと言われるため、菊の花を漬けた酒などを飲んで無病息災や邪気払いをしたという。
しかし、それに関わらず近年ではあまり知られていない。9月のこの時期に現代では金木犀の芳しい香りを空気に感じるようになると、秋が到来したと感じる。現代の重陽の節句の時期に咲く金木犀を漬けた桂花茶や桂花陳酒なども飲みつつ疫病退散を祈り、リアルでたくさん色んな人たちと語らい、交流できる日を心待ちにしたい。