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「地中海世界」(フェルナン・ブローデル編)−陸地−

もともとは仕事でもお世話になっている安西洋之さんと近畿大学の山縣教授の話から始まったという、1章ずつ本を読んで、その趣旨を1000字以内でまとめていくという読書会に参加の機会をいただいた。なかなか1冊ずつとなるとハードルも高いので、1章ずつというのは続けやすいし、感想の交換は個々の価値観の交換に等しいため、シンプルに楽しい。自分自身、毎週読書会をもう何年も開催しており、本の感想を言い合うことで価値観が広がってきた実感がある。

一冊目のテーマ本はこちら。

(感想)
地中海世界に人生で触れたのは、大学時代に読んだ塩野七生氏の「ローマ人の物語」を始めとするイタリアについての著作だ。ザマの会戦など「地中海世界」の住人にとっては常識であろう歴史が少しながら理解できるのは、塩野氏のおかげと言っても良い。塩野氏の本で読んだ歴史の描写を思い出しながら、「あの戦いが行われたのは、そういう場所だったのか」と思って読み進めた。

しかしながら、風土や自然環境については、なかなか情景が思い浮かんで来ない。これまで数回のイタリア滞在で車窓等から見た景色やテレビ等で見た光景を断片的につないで想像していくしかない。火山や地震、季節ごとに吹く風の変化などの描写も、「これは日本で言えば台風だな」「日本でも冬は大陸から寒い風が吹いてくるな」といった思考をしながら読んでいる自分に気がついた。つまり、自分の体験に基づいて、その体験と比較しながら読み進めていたのである。

人の思考・視座は、その人が育った環境によって培われる。そして異なる文化や思考・価値観を理解するときには、自分の思考・視座を軸としながら比較し、共通点・違いを把握する。違っている場合はどれくらい違うのかという程度、そしてその違いを生み出している背景を考えながら理解を進めていく。逆に言えば、その自分の思考の軸と背景に理解がないと異文化を深く理解することは叶わず、表面的な違いばかりに目が行くのではないだろうか。

今回の「陸地」を読んでいても、日本と比較しながら地中海世界における文化や思考、そしてこれまでの歴史を形作ってきた背景に想いを馳せた。病気や水害、戦争を避けるために平地を避けて丘陵で暮らしていたというのは、日本の過去の暮らしにも共通する。江戸の町も徳川家康が大規模に土壌改良をする前は「穢土」とも言われるくらい不浄の湿地帯だったそうだ。
一方で、やはり他の文化圏と物理的に「直接つながっている」ことがもたらしてきたことの影響は、日本では頭では理解できてもなかなか直感的に理解しにくい。最近ではシリア難民の移動をテレビを通じて見て「地続き」であることを目の当たりにした衝撃は記憶に新しい。世界の異文化と地続きでつながっているという感覚は、日本では関西と北海道のアイヌ民族と直接つながっている感覚とは全く異なっているだろう。この違いを少しでも埋められたら、今の地中海世界の感覚の理解が進むのではと期待する本だ。
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(趣旨)
「地中海」とは地殻にできた紡錘型の割れ目であり、高くて鋭い形の山々が連なり、範囲はジブラルタルから紅海にまで至っている。海が黒海・エーゲ海・アドリア海・ティレニア海、そして陸地はバルカン半島、小アジア、イタリア半島、北アフリカに分けられる。そしてイタリア半島を基本線として西欧と東方とに分かれる。

この複雑な自然環境を作り出したのは、火山の噴火と地震であり、それが地中海の「北側」の国々に共通して見られる切り立った峻峰や海に潜り込む急斜面、そして一部の切れ目に存在する低地の海岸を生み出している。一方、「南側」つまり北アフリカは長い海岸線と砂漠が広がっている。「北側」は青から紫へ、はてはオリーブの木が生み出す黒色にまで、「南側」は白から黄土色から椰子の木のオレンジ色にまで色彩を変化させながら相対峙している。

西の大西洋と南のサハラ砂漠が地中海の風土を創り出している。夏はサハラ砂漠の乾燥した灼熱の空気が清澄な「栄光の空」と美しい星空を、冬は大西洋から嵐がやってきて大地を雨で満たす。燕が春を連れてきて、再び乾燥した夏がやってくるまでの間が限られた農繁期になる。

こういった風土に加え、もろくて浅い地質のため、農業に適した柔らかい土がある平野は限られていた。また下流では灌漑が進んだ今とは違って不衛生な水環境のためにマラリアなどの疫病や戦争の危険を避けるために山や丘で地中海世界での歴史は始まり、今も古くからの生活様式が残っている。

農村と都市という事実上の定住生活との妥協から生まれてきた移牧もその一つで、季節ごとに産地と平野を羊や山羊の群れを往復させてきた。そういった人々は町の人たちとの文化が異なり軋轢も生んだが、国家による管理制度や羊毛市場など複雑な社会制度にも繋がった。さらに影響をもたらしたのは、東地中海の遊牧だった。西と違って人口が稠密でなかったため、移動も規模も大きく、長きに渡って国々の争いや通商、疫病の伝染なども含めて社会に大きな影響を与え続けた。

地中海世界の生活のバランスをとっていたものは、オリーヴ・葡萄・小麦の3つ組であった。オリーブと葡萄は安定していたが、小麦は大きな問題だった。小麦の収穫や蓄積が都市と田舎、富裕層と貧困層の差を生み、飢饉は病気も生んだ。長い間贅沢といっても3つ組が揃っている程度だったにも関わらず、歴史の中では極端な豪奢も生まれた。


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