『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』(フェルナン・ブローデル) ‐余裕と日常:服装と流行
フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第10回目。いよいよ今回が2分冊の1冊目の最後となる。ついにたどり着いためくるめく思考の旅の序章の終わり。
<概要>
服飾史は素材・作り方・原価・文化による固定・流行・社会階層などありとあらゆる問題がそこから出てくる。社会階層の上位の服装を市民階級が真似たいと思い、そしてそれを奢侈禁止令などで制約して階層を明示するというのは物が豊富な社会でも貧弱な社会でも同じように見られた。
そして社会が安定したままであれば、社会階層制度と同様、服装はあまり変化しなかった。中国でも15世紀は首都の北京から開拓地まで、18世紀に至るまで男女とも変化がなかった。日本でもインドでも中東でも同様だった。社会秩序全体に影響を及ぼす政治的大変動が起きると、大きな変化が生じた。新たに支配層となった征服者の服装が上位階層の衣服となった。貧乏人しかいない社会では、富も移動の自由もなく変化の可能性もない。晴れやかなのは祭日用衣服で代々受け継がれていく。日常着はその土地で得られる一番金のかからない材料が使われ、さらに変化がなかった。
ヨーロッパでも階級ごとに服装が異なるのは同じであったが、服装は少しずつ変化していった。13世紀ころには肌着の試用が始まった。それまでは裸で寝ていたことで不潔であり、その結果皮膚病が蔓延していたが、農民層には18世紀に羊毛が広がり病気も改善していったが、フランスでは大革命前でも19世紀でも農民は木の樹皮の亜麻布を着ていた。
流行は上層階層に限られていたが彼らの衣服や行動に見とれて極貧の人でも見とれて真似た。流行とは単に豊富・量・過剰を意味するだけではなく、潮時を見計らってくるっと旋転してこそであり、季節・日・時に応じて変わることを要求される。流行のような支配力は1700年以降に出てきた。
いくつかの民族的様式が形成され、それぞれが互いに影響しあい、19世紀までは少なくとも欧州の服装は多彩であり続けた。これもその時期の優勢を占める国の様式が他へ影響を与えていった。つまり優勢な国の様式が広がっていったのである。ヨーロッパは家族であり一体であったので、全体に影響を及ぼしていった。流行は勝手気ままなようではあるが、実際にはそのメカニズムの点で文化伝播の規則に属し、流行の進む道は前もって大幅に定められていて選択範囲は限られている。
伝統は美徳ともなり監獄ともなる。服装などに心を労するのは軽々しいが自らの伝統と断絶していく社会に未来は開かれている。革新運動に養分を補給するためには一定のゆとりもおそらく必要なのではないだろうか。
また、流行は特権的な人たちが自分たちを区別し障壁を設けたいという欲求から生じる。物質的進歩があって利益を得て社会的上昇が生じ、さらに商業界が流行を意識して利用し、自分たちの競争優位を継続的に確保しようとした。同様に新しい言語を探索して古い言語を格下げし、先行世代を否認した。
<わかったこと>
様々な数量から社会を見つめ、そして食や飲料品、嗜好品などから人間を見つめてきた本書。人間の生物的な部分である食や飲料品、嗜好品というある意味人間の精神的な弱さを支えてくれるもの、そして最後が服装と流行という人間の差別区別見栄っ張りといった精神的な自己顕示欲求、言い換えれば社会的欲求部分にフォーカスしているというこの流れがブローデルの人間を見つめる視点を感じられた。
安定した社会では、社会階層を表すものであり、日常着は仕事着であり、機能的な役割、そして祭日の晴れ着についてもその祭礼用という機能的な役割を持っていたことからすると、社会の流動性が高く安定しない社会においては常に人より優位性をいかに保つか、今で言うと「マウンティング」するための機能が大きかった。そのことからすると社会的欲求と言いながらも結局のところは「自分のほうが強いぞ」と毛を逆立てたりしている動物と本質的にはあまり変わらないところでのものなのかもしれない。
そういえば、「ダサい」ということの語源には諸説あるが、Wikipediaの説明が興味深い。以下引用。
他者からいかに「おもろいヤツ」と見なされるかが最上の美徳となる関西人に対して、関東人は他者から「かっこいい」「○○さんさすがです」などと賞賛されることを最上の美徳としている。周囲と同調する傾向の強い関東地方の人々は、東京から配信される「都会的」「洗練された」とされる情報に追随し、そうした価値観を反映した人物像を演じることで、都会から配信される文化を自分たちが支えているのだと認識していた。一方で関東人は「かっこいい」とは対極にある「ダサい」と評されることを極度に恐れるあまり、東京を通勤圏とする地方出身者を嘲笑の対象と見なし、彼らを揶揄することで自らの存在意義を確認していた。
ヨーロッパの人たちの文化がどういうところに依拠して流行を追い続けるところに至っているのかは今回のパートで言えば関東人のマインドに近く、そういう気持ちを煽り続けることでビジネスにしてきたという背景もあるのだろう。経済としては果てしなきこの煽り続ける仕組みは効率的なのかもしれないが、社会の安定・持続と考えるといつまでも続きはしない。しかしブローデルの言うように社会を変えていくエネルギーを蓄積する源泉でもある。どっちが良いとかではなく、一定の安定の中で適度なゆらぎの範囲に抑えていくというのが社会の仕組みでも人間の欲求でも必要なのだなと感じる。そして人は座禅を組んだりし続けてきたわけだが…強い欲求を抑制すると無理が出る。であれば欲求の良い向け方、つまりは「こっちのほうが流行りだよ」というように変えていくことが大事なのか。