私が雪山を登るようになった理由
私はかつて、会社の山岳部に所属していた。
私の所属していた山岳部は、河島英五の『酒と泪と男と女』を地でやっているようなおじさん達や、折り目正しいリア充の女性達というメンバーで構成されていた。
彼らから言わせると、私は彗星の如く現れた新人だったそうだ。
一見すると根性のなさそうな派手な女の子という印象だったのだと思う。確かに、その頃の私は毎日のように繁華街に繰り出すパーリー女子だった。しかし、ギラギラのネオンの中に生息するOLだって、山に登りたくなる属性を持ち合わせていることもあるのだ。
最初は毎週のように一泊山行を繰り返していた。土の匂い、緑の匂い。川の流れる音。まるでハイキングのような気楽な山行だった。そのうち季節が移り変わり、山にうっすらと雪が被るようになった。キンキンに冷えた山の朝は凛とした空気に包まれていて気持ちよかった。山登りを繰り返していく度、次第に山が冬支度をしていく様子を肌で感じ、下界よりも一足早い山の季節に実生活を忘れた。やがて冬になり、山は全てが寝静まったかのような静寂さに包まれていった。寒くて装備は極寒仕様のものになり、アイゼンやピッケルを身に着けて登るようになった。私は山の虜だった。
その頃になると、山のメンバーは私の根性を認めてくれるようになった。私は春山合宿の常連となり、雪深い山を狙って登り続けた。春山合宿に参加する女性部員は私だけだった。
ある晩、テントの中で食事を済ませるとちょっと上の先輩が「今朝、家を出る時に妻に泣かれた」という話をし始めた。もっと一緒いにたいと言って泣いたのかなと呑気に考えていたら、どうやら「もう命に関わるような危険な山登りはしないで」という意味で泣かれたというのだ。賑やかだったテントの中は一気に神妙な空気になった。
確かに、雪山は命がけの山行だ。
ちょっとした油断で転倒したり滑落したりして命を落とすことも珍しくない。私の1m先で大きな雪崩がおこったこともある。自然は雄大で、人のことなどお構いなしに淡々と時を進めている。大自然の前では、人は脆弱でちっぽけな生き物でしかない。
この頃の私は、自宅と会社と繁華街の三ヶ所を繰り返し巡るだけの生活を送っていた。毎日、日中は会社で仕事をして、夜は銀座や六本木で大騒ぎをして、自宅にはちょっと寝に帰るだけの生活。毎日は中身のない楽しさで溢れていて、昨日のことや明日のことも考えない私は、空虚な浮かれポンチそのものであった。その頃の日々は、私にとって「死んでる」ようなものだった。楽しいけれど虚しく、何も生産するものはなく、何一つ身につくものもない。ただ、大きな口を広げて笑っているだけで、私の目は何も見つめていない。当時の私にはそれが死んでいるのと何が違うのか全然区別がつかなかった。
山を登り、ふと足を止めた私の目の前で、何万トンもの雪が大きな地響きと共に落ちいていくのを目の当たりにする。あと数歩先に進んでいたら私は大きな雪の波に呑まれ命を落としていたことだろう。大自然にとっては、私が生きてようが死んでようがそんなことはどうでもいいことなのだ。そして私は、死ぬかもしれない状況に身を置きながら「ああ、生きてるな」と実感するのだった。
山登りは、自分の足で歩を進めるしかない。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、誰かが自分の代わりに歩を進めることは出来ない。頂上は工程の通過点でしかなく、下山した時に今来た道を振り返りやっと、自分がこんなにすごい山を登ってきたのかと驚くのだ。そうして私は「生きている」という感覚を心にしっかりと刻む。
あれから何年経っただろう。
いつの間にか、私は山に登らなくなった。
何もかもが時を止めてしまったような冬山も、どこかで始まりの息吹を感じる白い春山も、どちらも素敵だったけれど今の私には必要ないようだ。
今、私はプレッシャーと戦いながら、好きなことを好きなようにして生きている。ひとつひとつ、自分が生み出すものに手応えを感じながら生きている。
一日の終りに「あー、今日も楽しかった」と思って目を閉じる。今日も楽しかったという思いは、明日も楽しいに違いないという約束になる。
ちなみに、雪山で滑落した時は完全に「死ぬかと思った」体験だった。
まじ生きててよかった。
#滑落停止訓練したのに #訓練は本番では役に立たない #元パーリーピーポー