You'll never know
映画『The Shape of Watar』の挿入歌に”You’ll Never Know”という曲がある。
あるコンサートで三管+トリオという編成で出演することになっていて、事前に曲の選定と管アレンジを準備しなければならなかった。メンバーのリーダーは大御所サックス奏者N氏。ライブでなくコンサートなら華やかなセットアップがいいのかもなんて考えていた時だった。
N氏から連絡が入った。
なんでも、今度のコンサートではぜひ歌ってもらいたい曲があるので、それを覚えて欲しい。アレンジはこちらに任せてくれ、という内容だった。しかも『The Shape of Watar』の中のものをよく聴いておいて欲しいという注文まであった。
実は、ミュージシャンからリクエストを受けるということは稀だし、歌手にとって名誉なことだ。尊敬するN氏からリクエストをもらって、私は素直に嬉しかった。
たいていのジャズ歌手は、歌いたい曲を聴いて覚える。もしかしたら、ミュージシャンもそうなのかもしれない。でも、私は聴いてしまうとその歌手の世界観を引きずってしまうので、曲のメロディラインが入るまでは誰の曲も聴かない。オリジナルの楽譜を手に入れピアノでさらったら、曲に対するアプローチは一旦終わり。とても不思議なことなのだが、譜面をじっと見ているとこの曲をどう歌えばいいのか、そのナビのようなものが浮き上がって見える。(この件については別稿でいつか書きたい)
その後、インスト演奏をいくつか聴いて、テンポ感やアイディアをさらう。
それから曲の背景を調べ、歌詞を訳す。その際(これは私の生徒にも伝えていることだけど)翻訳サイトやどなたかの訳詞には頼らない。わからない単語は辞書サイトで調べればいい。英英辞典で調べるとより深く理解出来る。
私はこの作業が大好きだ。
心に響く歌詞を読むと、どこをフォルテで歌うべきかどこをピアノにするべきかがわかる。
そして、その時心に打たれたその情感を忘れないように大切に心の引き出しにしまう。歌う時に、その情感は言霊になる。
You'll never knowを訳し始めてその歌詞の意味がわかると、私の胸がぎゅっとなった。そして、このリクエストの真の意味を感じ、涙が溢れ出た。
この曲の歌詞をざっくり訳すとこんな感じだ。
その年、N氏は最愛の奥様を見送っていた。
N氏のコンサートにはいつでも同伴し、私も共演するたびにお会いした。美人で物静かで、影にまわりそっと寄り添うような素敵な奥様だった。お二人はべたべたするような夫婦ではなかったが、二人の間には長く連れ添った者が交わす揺るがない信頼関係が見えるようだった。
伝えたかったんだ。
そう思った。
伝えていたと思う。それでもまだなお、伝えたかったのだと思う。
私の父は伝えられなかった。
伝える前に、母は逝ってしまった。
それを後で後悔しても、どんなに伝えたくても、もう伝えられない。耳に届くように、鼓膜がちゃんと振動するように、心でわかってもらえるように、ちゃんと自分の口で伝えなければならない。
祈りは届くかもしれない。
でも、伝えられるときに伝えないのは油断であり、怠慢だ。
だから、生きているうちに伝えるべき言葉は伝えておいたほうがいい。伝わった言葉は、その人の心にきちんと届いて、あちらの世界に持って行けるから。私はそんなふうに思っている。
You'll never know、とってもいい曲なので、いつか聴いてみてほしい。