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頭の中で常に音楽が鳴っている

一年で一番悲しいのは夏至。
一年で一番期待値が上がるのは冬至。

常々、これはMマゾの方々の心理と似ていると思っている。

彼らの中には、一年に一度だけプロの縄師に縛られるという幸福を自分に与える人がいる。一年間我慢して、ようやくその日その時が来た悦びはさぞかしだろうと思いきや、そうではないという。彼らからすれば、縄師に縛られる日は、一年で一番悲しい日なのだという。

縛られる瞬間は素晴らしいひと時なのだが、悦びを感じれば感じるほど、その悦びの終わりを思い知らされる。終わりを迎え、そしてまた翌年の約束の日を待ちわびる。彼らからすれば、一年ずっと待ちわびている日々が悦びなのだそうだ。与えられるのをじっと我慢し、耐える日々が悦びそのものなのだと。

この話に私の気持ちを当てはめると、私の夏至は「縛られる日」だ。
いや、彼らの方が全然高尚な話なのだけれども。

ああ、 #なんのはなしですか
音楽の話をしようとしているのに。

先日の夏至の日。
朝起きるといつものように頭の中で音楽が鳴っていた。

ジャズ歌手を目指していた頃、私にジャズの基礎を教えてくれた人が言った言葉は「頭の中でいつでもジャズが流れるようになることが最初の一歩」というものだった。それだけジャズを聴き込めということだったのだと思う。そもそも私はずっとジャズを追いかけてきたわけではないので、当時はあまりジャズのメロディを知らなかった。

ジャズと向き合うようになってから、むさぼるようにジャズを聴いた。もともと歌モノは大好きだが、なぜかインストゥルメンタルに惹かれた。生演奏もたくさん聴きに行った。セッションにもたくさん参加した。

日々が一気にジャズ色に染まっていった。

そのうち、常に頭の中でジャズが鳴るようになった。
ようやく私も最初の一歩を踏めたのだと思った。
それが20年以上前。

振り返ると、何を生ぬるいこと言ってたのだと過去の自分に言いたくなる。頭の中でジャズが鳴るということを意識している時点で鳴ってない。そういうことではないのだ。頭の中で鳴るのではない。常にジャズと共にあるということが、 ”鳴っている” ということなのだ。

そこら中に譜面があって、常に楽器を弾いて、常に歌って、少し耳休めたいと思うくらいの生活でやっと鳴り始めたと言えるのだ。

朝、目覚める前に More than you know が脳内で流れ出して目覚めと同時に歌いだしたり、Green Dolphin Streetを奏でるピアノの音が脳内から溢れ出てきて、寝ぼけ眼でピアノに触れる。それが当たり前の日々。

そんな日々の中で迎えた先日の夏至の朝。
私はいつものように脳内に鳴る音楽で目が覚めた。その日、脳内で鳴り響いていた曲。

それは バラクーダー 日本全国酒飲み音頭 だった。なぜ。

そういえば、ちょっと前に最寄りの駅に到着し、地上階までの階段を上がっていると脳内で 帰って来たヨッパライ が鳴り始めたんだよな。

ダラダラと偉そうなことを書いてきたが、常に頭の中でジャズが鳴るということは、意識することにより脳内に「音楽回路」のようなものが開通したということに過ぎない。脳内で流れる音楽がたまたまジャズが多いというだけで、本当は何かのはずみで全然違う音楽も流れ出すという危険性もはらんでいるということなのだと実感した。

頭の中でいつも音楽が鳴るということ。
それは、脳内にAI搭載のジュークボックスを装備しているということだ。

#なんのはなしですか
#Life is music itself.


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