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土と植物からのメッセージ

農薬や化学肥料を使わずに、自宅の畑で野菜作りをしています。
そういったいわゆる自然農はかえって手間のかかる、面倒なものです。
淡々と草を刈り採り畝に敷き詰め、薬を使わず害虫を駆除し、山ほど棲みついているミミズたちを草と土の間に逃がし、モグラの穴をせっせと埋める。
きりがない作業をずっとやっていると、色んなことを考えたり、それに対する答えの言葉が降りてきたりと、様々な気付きがあるものです。

今日はそういったお話をいくつかしたいと思います。
不思議だけれど、不思議ではないのかもしれません。

スイセンからのメッセージ

昔からネズミ除けとして、田畑の周りにスイセンを植えることがあります。
更には私の住んでいる町の町花がスイセンということもあり、町のあちこちに、春の訪れを知らせてくれる植物です。
毒がありますから、猫のいる我が家では切り花として飾ることはできませんが、野良暮らしや外歩きをする猫さんたちが間違って口にする、というのは見聞きしたことがありません。ニラと間違えて食べたりするのはどうやら人間だけのようですよ。

それはさておき、今年の春のことです。

二年前に脱走させてしまったことのある愛猫・大吉は、怖かった思い出など忘れてしまったかのように「お外へ行きたい!」と言うようになりました。
あまりに激しいので、緊張しながらハーネスをつけて畑のパトロールをしてもらっていた、そんなある日でした。

昨年天国へ旅立った愛猫・ロメオへの懺悔の念が私を襲います。
ロメオもまた、畑が大好きでした。歩かせていたこともあったけれど、やっぱり危ないからと、日に何度も抱っこして外を歩きました。
とても賢く、立派なボス。
本当はもっと自由に外を歩きたかっただろうか。
病状が悪化してからは、彼が望むだけ、何度もこの畑に連れ出し、土を踏ませました。
足取りもおぼつかない、そんな状態になる前にもっと、もっと自由にすべきだったのか。しかし、外は危険です。
脱走した大吉が無傷で帰ってこられたのは、奇跡的な幸運だったのです。
でも……。

あの子は、私のそばで本当に幸せだったのか。

すると、白いスイセンが、フェンスの向こうからじっとこっちを見ているように感じました。
「私たちはずっと見ていました。あの子は幸せだった。そして、今そこにいる、その子もね」
スイセンは球根の植物で、分けつを繰り返しながら毎年同じ場所に芽を出します。そのスイセンが、ずっと見ていた。そう語り掛けてくれました。

スイセンだけではないのでしょう。
木々も、草も、そこにずっと生え続けてきた植物たちは、毎年、毎日、私たちのことを見ているのでしょう。
見てくれている。
自然が、私たち人間のことを。
猫の「ニャー」のように耳に直接届くわけではないその声は、どうしてか私を包み込み、信じさせてくれました。優しさに、涙が出ました。

畑の畝の土からのメッセージ

冒頭でもお話したとおり、私の畑は薬の類を使いません。
ビニールマルチさえもやめて数年が経ちました。
黒マルチは地温を上げたり、雑草の抑制に役立ちますが、どうも息苦しそうなのでやめたのです。それにより、毎年起きていたネギやニンニクの「赤さび病」がなくなりました。
もちろん、専業農家さんでは大量の野菜を栽培・出荷しますから、マルチなしでは大変でしょう。
私のように小さな自宅の畑だからできることなのかもしれません。

その日も黙々とクサを刈っては畝に被せる……をひたすら繰り返していると、ふいに土から言葉が届きました。
「あなたは、土や野菜にするように、自分の体にもしたらどうですか」
ドキッとしました。
確かに私は畑仕事でヘトヘトになると、いわゆるドリンク剤を飲みがちなのです。
また子供の頃から風邪をひきやすく、悪化すると扁桃腺が腫れ激しい咳のせいで夜も眠れなくなるので、いつしか「ヤバイ」と思ったらすぐに市販の風邪薬を飲むようになっていました。
けれどそれが嫌で、地元の診療所に相談し漢方薬を処方してもらっているのですが、それでもついつい、即効性のある風邪薬を飲んで終わらせてしまう癖が抜けない時もあります。
ビタミンCのサプリメントも飲んでいます。これも風邪防止と思って……。

畑の土や野菜には「科学肥料に頼らず育っておくれ」と言っているのに、アナタはどうなのよ? と言われた気がして、背筋が伸びました。

山芋の畝の土からのメッセージ

山芋も、ムカゴから育てた種芋で栽培しています。
我が家では短形と呼ばれる、ずんぐりとしたとっくり型のものや、野球のグローブみたいな形のものを栽培しています。
もっとも有名な「自然薯」は非常に長く、とてもとても掘れないのです。
栽培用のパイプや波型板を使って上手くやれる方々もいますが、私には無理だったので短形山芋にしています。
しかし短形と言えど山芋というのは、植え付けた場所から浅くとも深さ30センチ以上は下にできる植物で、ということはつまり、他の作物とは比べ物にならない深さの土を耕し、高くてデッカイ畝を立てねばならないのです。
なので、畑とは別の場所を今年は選びました。

それは自然農に切り替える以前、クサを抜いては捨てていた場所で、積み重なったクサはやがてミミズや微生物により分解され、いつしかとても良い土が仕上がっていた場所です。
そこをシャベルで耕し(もはや鍬でできる深さではありません)大きな畝を立て、雨の流れる溝を掘り、顔が真っ赤になって息が上がり、汗だくになって「種芋はまだこんなにあるのかよ」などと途方に暮れていた時のことです。

逞しく、野性的で良質の土から言葉が届きました。
「お前にはこの土がある。畑がある。家もある。あるのだ。お前が持っていて、他の誰かは持っていないものがある。また、誰かは持っていて、お前は持っていないものがある。皆それぞれ持っている。だから何も遠慮することはない。存分に、堂々と、やれ!」
突然なんのこと! という感じの話ですが、かなり喝を入れられました。
畑の土さんとは違った、男性的なノリでした。
そして気付いたのです。
普段、ほぼ無意識に「あれがあったらなあ」と思うことありませんか?
もう、当たり前のように欲しがる。欲しがっている意識などないほどに。
そして何か始めようとするとき「でも……」と否定的な方を向いてしまいませんか。私はそうなっていると、自分で思いました。

これらの土や植物からのメッセージが、何かあなたにとっても気付きやヒントになればいいなと思い、シェアしました。

おまけ・稲荷社の狐さんからのメッセージ

お仏壇のお供え物に甘納豆があったのですが、お線香をあげているとき急に届きました。
「甘納豆ええのう~ 甘納豆ええのう~」
お仏壇の前にいたのに、それは自宅敷地内におわす稲荷社の狐さんからでした。
はっ! としました。
以来、朝ごはんに時々デザートが付くようになりましたとさ(^-^)

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