壮絶な一ヶ月。そしてばぁばの離脱。
(その2からの続き)
身も心もボロボロになり、赤ちゃんと一緒に大号泣した入院期間を終え
ついに退院の日。
出産したのが梅雨の最後の時期だったので、6日ぶりの外の世界は
すっかり夏に突入していて、病院を一歩出たときの蝉の大合唱と
腕のなかの我が子の大泣きが、今でも鮮明に思い出されます。
里帰りしていたので、退院してからは、私の母と女三世代の暮らしが始まりました。
ところが・・・孫の誕生を待ちわびていたばぁばが、やられてしまうのです!!
あまりの赤子の泣きっぷりに。
それも無理はないのです。ありがたいことに、夜10時くらいから朝の4時くらいまでは、その間2~3回お腹を空かして泣きはするけれど、ミルクをあげてオムツを替えるとだいたいは寝てくれました。
けれども朝の4時頃から、何をしても泣き止まない大泣きが始まります。
ずっと抱っこして小さな声で子守歌を歌ったりとなんとか泣き止ませようと頑張ってはいましたが、なんせ小さな家の中、寝ている母を起こしてしまうのです。
そして、赤ちゃんは昼間は「寝るもんか!」と決めているように、まあ寝ません。そしてほぼ泣いています。疲労と寝不足の中で意識が飛びそうになりながらも、なんとか泣き止ませようと抱っこし続けたり、もう限界だと、泣いても寝かせたままにしているとなんと2時間以上ずっとずっと泣き続けていたり。
そんな環境で、60歳を超えた母の心と体は疲れ果て、人が変わってしまったようになってしまいました。私に向けて
「本当に泣き止ませるのが下手ね」
「せめて夜は泣かせないでよね」
と言い放ち、同居してから1週間で、もう赤ちゃんを抱っこしてくれることはなくなりました。
どうかこの子を嫌わないで・・・。
心の中で母に願ったその思いは、その後、夫に、そして保育園の先生にも思うことになるのです。
赤ちゃんは、両手両足をブンブン振り回しながら泣くので、床の上に敷いたマットからはみ出て移動していたり、90度回っていたりします。
そして少し痙攣するような動きも見せるので、次第に私は「この子は障害があるのでは・・・?」と感じるようになりました。
妊娠中に、仕事がストレスフルで夜まで仕事をしたり、無理をしていたから??と自分を責めました。母にも相談できず、精神的にも追い詰められてしまい、「どうしてフツウの子に産んであげられなかったのだろう・・・」と、お風呂の中でシャワーを浴びながら、声を殺して泣きました。
そんな状態が続いたある夜、夢の中に、おかっぱ頭の女の子が出てきました。
そしてその子がうつむきながら言うのです。
「もし、私にどこか悪いところがあるならば、しかるべき施設に入れてください」と。
この夢のことは、きっと一生忘れることはできないと思います。
そのときの私は、赤ちゃんのことを可愛いと思えず、精神的にも体力的にもギリギリの状態でした。
そんな状態の産後一ヶ月間。一ヶ月というと、お宮参りをしてお祝いをする人も多いと思いますが、とてもじゃないけど母子ともにイベントを行える状態ではなく、お宮参りはできませんでした。
そして、里帰り期間が終了し、ついに父母子の3人暮らしが始まります。
ばぁばに続き、次は父親がノックアウト・・・!? 次回につづく。