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いつメン舞台が嫌いという話(公演イメージ・メリット&デメリット編)
タイトルそのまま。「いつものメンバー」「いつものメンツ」の舞台が苦手です。厳密に言うと「いつものメンバーであることの方が目立ち、作品が人の後に来る舞台」が嫌いです。贔屓の役者が出ていたとしても観に行かない程度には駄目です。
時に苦手と嫌いの度が過ぎて心身が拒絶します。頭は観に行く方向で考えていても心がピクりとも動かないのと身体的な不調が出るのと。自分でも驚く。
とはいえ、世間一般的には好意的に受け止められていたり、メリットがあるからこそ、お馴染みのメンバーで作り上げる舞台が多いのでしょう。
はじめに、今回の括りと関係、構図。
今回お話してゆくのは劇団やコミュニティとして確立している団体などの固定或いは準ずるメンバーではなく、客演・ゲスト・プロデュースなど、招かれる側と招き入れる側という構図をイメージしていただくとわかりやすいかと思います。
お馴染みのメンバーを集めるのはなぜかしら
単純に、信頼できる人間に依頼した結果お馴染みのメンバーになることも多いでしょう。デメリットよりメリットが多かったり、キャスティングにせよ集客にせよ「人を集めること」の都合であったり、作り手側がヨシとするクオリティ維持のためであったりするのでしょう。観客からしてもその雰囲気が好きとか、推しが楽しそうにしているからファンである私も好きとかさ。
ただ、これ、あくまで推測です。
私の場合、制作・キャスティング・集客などについて直接的に携わる機会がないので想像の範疇と、参加スタッフ或いは観客の立場で自分が受け止めた内容・感覚・判断でしか述べられません。あしからず。
作り手として感じる「いつメン」のメリット
役者にせよスタッフにせよ馴染みのある顔触れで作り上げる公演が悪いとは思いません。私自身よくご一緒するメンバーというのはいますし、セクションの相性やコミュニケーション、クオリティの維持、世界観との相性や理解度、そういうものもあることは重々承知しています。
お馴染みのキャスト・スタッフで毎度素晴らしい舞台を作り上げ、作品ごとに毎回ガラリと印象が異なる素敵な世界へ連れて行ってくれる団体だってありますし、観客にとって最高の時間を提供してくれる方々は確かにいらっしゃることも知っています。
正直、作り手としてはいつメンであることのやり易さといったらなくて、いい作品をつくるためには大切なことだと理解できる。でも、それは個が個であってこそだし、馴れ合いになった瞬間から終わりに向かい始める。馴れ合いになりつつあることに気付けなかったら、気付いていても受け止め軌道修正を図らなかったら最終的に作品が死ぬ。腐る。
演劇にせよデザインにせよ、携わる人の数だけ思惑があることも大人の事情があることも、嫌という程わかっている。そういう中で少しでもいいものにしようと誰もが足掻いていることも知っている。中には本当にクソみたいな輩が居ることだって知っている。(あら、言葉づかいがお下品でしたかしら、失礼。)
それでいて思う。現実に観てきたものの話。
これまで私が観てきた中では、いつメン舞台の場合、圧倒的に駄目パターンと謎パターンが多かった。演劇の近くにいる割にサンプル数としては少ないので説得力はありませんが。
これまで見てきた「なにこれ?」コレクション(受け手として体験したデメリット)
「作り手側がたのしいだけのやつじゃん?」「もしかして稽古場ネタ?」「役者同士の事情を知っていなきゃならないの?」「前々から知っている人じゃないと笑えないパターン?」「Twitter追っかけていないとわからない話?」「そもそもどういう公演?」「業界向けプロモーション公演?」「新規はお断り?」「知っている人だけ知っていればいいの?」「団体もどの役者も、等しく受け入れ愛でなきゃならない雰囲気?」などなど。
どれだけ残念舞台を引き当てているんだ私。これでも残念ポイントの一部だなんて……ほんとに凹む。世の中そんなもの……なの……?
劇場へ運ぶハードルが高くなる一因であるかもしれない(作り手として懸念するデメリット)
とはいえなんだかんだ劇場へ運んでしまうあたり私にとって演劇は魅力があるのですけれど、演劇に抵抗がない人間であってもこれなのだから日頃演劇に縁がない人からしたら劇場、特に小劇場って運びにくい場所よなぁ。テイストとか世界観とかはともかく上記のようなトラップがあっちこっちに。(これを踏んでしまって以降、演劇に苦手意識を持つ人・持った人も少なくないと思うよ。)
素敵な団体もいっぱいあるとはいえ不慣れな人が嗅ぎ分けるのは至難の業。既に演劇を知っている人たち(作り手や既にファンである人たち)が歩み寄って行かにゃなぁ。
歩み寄っていく作り手って意外といないんだけど。それ演劇業界の一番の問題だと思うわよ。とまあ本日も安定の脱線。
友人知人からのお誘い、観劇に行くか否かについて。
そして脱線ついでにこの記事を書きながら思ったことを。この記事を書いてしまったことで今後きっと「アイツ来ないからこの顔触れに対していい印象持ってないんだな」と思われることになるのかもしれぬがやむなし。
単純に都合がつかないということも少なくないし、たとえその時は嫌って観に行かなかったとしても未来永劫続くものでもないから。改善されて団体の姿勢や作品が良くなったと思えば観に行くし。
宣伝メールに納得できなかったら行かない。
ただ、姿勢の改善は宣伝メールやSNSでの発言を読み解いての判断になるのでけしてハードルが低いワケではないのかも。大概役者の宣伝メールは露骨過ぎるのよ、もうちょっとこう…さぁ、表現と言葉を扱う仕事しているのだからうまい表現を…。
そのあたりは一人ひとりの客観視の度合いと人間力の向上の度合いだわね。この関連の記事も追々書きたいところです。
もうちょっとだけ続きます
さて、今日は「公演・作品そのものについて」ざっくりと書き記しましたが付随してあと2本は書く予定です。一連の投稿を読んではじめて意味が分かるようなコンテンツかもしれません。今しばらくお付き合いいただけましたら幸いです。
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