宣伝美術はアーティストじゃないよ、という話。
宣伝美術とはどういう仕事か、ということは過日の投稿「宣伝美術とはどういう仕事?何をする人?私の場合。」に記載した通りでして。(※下記に一部抜粋)
宣伝美術とは主に、舞台・演劇公演などの販促物およびビジュアルをつくる役割のことを指します。モノで言うと、チラシ・ポスター・チケット・パンフレット・DMなど。
本日は「宣美って関係者の間でもその働きを意外と正しく解釈されていないのかもなぁ」と思ったという、そんなお話。
それ、宣美に頼む話じゃありません。
以前、宣伝美術のお仕事を受けた中に「やりたい放題、好きにやっちゃって!アーティスト性爆発させちゃって!情熱ぶつけちゃって!(意訳)」というリクエストを頂いて困惑したことがあります。
できないよ、って。
私はデザイナーであってアーティストではないから!そもそも宣伝美術はアーティストでないし、アーティストになっては駄目だから!って心の中でツッコミ入れながら。
これたぶんデザイナーあるある。
デザインやっているとちょいちょい出くわすリクエスト。言っている方も悪気が無いだけに困るー。その時はニコニコしながらやんわり牽制、相手がさして話を聞いていなかったので流しておきました。うん。
このやり取り、どこがおかしいのか。
たまにこの手の話に出くわすのですけれど、演劇関係者、もしかして意外とこの違いをわかっていない??
ということで、すんごく簡単に説明しまーす。(雑とも言う)
テーマを徹底的に掘り下げ自己表現するのがアーティスト。販売促進のために問題解決して拡散を支援するのがデザイナー。内側と外側。
1ミリも掠らない、まったくの別物です。
で、ややこしいんだけど、宣伝美術は美術という括りであるのだけど本質は宣伝なのだな。販促のセクションなのだよ。ホントこの呼び名、言い得て妙。
実際はアーティスト的な宣美も多い
演劇の場合は役者が宣美として活動している場合も多くあります。そもそも表現することが好きな人たち、芸大やデザイン学校出身者のほか、独学でデザインを学んでいる人も多いことなどが理由。
そうなると問われてくるのがどこまで自我を抑えるかとか、どの程度客観視できるか、という技術。芸術が爆発しちゃってて実際の公演と乖離していたりするのを目撃するとありゃりゃと思います。言わんけど。
創作のセンスとスキルがあるだけにもったいないなーって。
デザイナーがアーティスト的である場合のフォロー
デザイナーがアーティスト的な場合、ありゃりゃを防ぐために宣美なりその他の販促セクション、あるいは制作にディレクター的な判断ができる人材を置くこと。
演出家は世界観・方向性の指示は出せても販促の専門家ではないからバランサーが必要。プロデューサーがその判断をできるなら報告までではなく相談も。できないプロデューサーも多いけどそれはやむなし。
言ってはみたが、できなくていいよ。
そんな器用にやられたら商売上がったり、デザインも技術なのです。そうでなくても少ない宣伝美術という枠、創作の技術がある人に宣伝の部分でまで完璧にやられたら到底敵わない。どうにか助かってるということなのかな、結果オーライってやつかな。
演劇は予測不能の特殊な世界
それにしたって難しいのが一般的な販促ツールと大きく異なる部分。「何が何処に刺さるかまったく予測できない」ということ。
それが演劇の面白さであり怖さであるのだけど、作品にしろツールにしろ何がどう働くかわからない。方向性くらいはわかるけど、実際にどう動くかは蓋をあけてみないとわからない。なんなら、その日のステージが終わってみないとわからない。
毎ステージがジェットコースター!ライブ感が過ぎますって!(たのしい)
だからこそ、宣伝の部分は許容して、先述のようなアーティスト的な宣美もよしとされているのでしょう。
自分の使命は何か
となるとやっぱり私がこれからやっていかなければならないのは自身の手掛けるものの質や精度を高めることと、宣伝・販促の基礎を広め浸透させること。
え?
宣伝・販促の基礎を広め浸透させる?
え!
商売敵増えちゃうじゃーん!
負けないけどっ。
というワケで、引き続き、演劇の作り手たちに販促の大切さを伝えてゆく記事やら行動やらがんばりまーす。