インプットとアウトプットの間をつなぐ「スループット」の重要性 -HCD/UXD/SD教育の現場から-
※本稿は 、Service Design Advent Calendar 2018への寄稿のために、先日2018年11月30日〜12月1日に行われた人間中心設計推進機構(HCD-Net)年次フォーラムの中の理事によるパネルディスカッションで話題提供した内容を整理、加筆してMediumに寄稿したものを転載したものです。
UXデザイン/サービスデザインに関する実務家として、大学/大学院のデザイン関係学科での非常勤講師として、そして人間中心設計推進機構(HCD-Net)におけるHCD教育担当の末席理事として、今年はこれまで以上にデザイン教育を行う機会を頂いた一年でした。
例年に比べて顕著だったのは、デザインを学ぶ学生、そして主に大企業のインハウスデザイナーや開発者への教育はもとより、社内の企業内起業家支援制度の中で新規事業を起案〜事業化するミッションをもったひとたちへのデザイン教育と、事業化評価のためのプロトタイピングまでの実務支援を行うという依頼が今年はとくに多かったことです。
平素よりデザイン教育を依頼される際に多いテーマは、
1.デザインリサーチやデザインフレームワーク/メソッドなどの具体的な手法論
2.リサーチなどを経て得られた一次情報を使って製品・サービスのコンセプトや、利用体験全体におけるエクスペリエンス/サービスデザインを行うための具体的な方法論と発想法
のいずれかであることがほとんどである。これは裏を返すと
前者については、見よう見まねでリサーチしてみたり価値探索をやってみたものの、質の高いインプットが不十分だったので、良い製品・サービスのデザインができていないという悩みがある。インプットの質を高めたいという課題。
後者については、リサーチや価値探索はそれなりに頑張っているんだけど、得られた質的な情報をどう解釈して、何を重要な価値や意味と捉え、製品・サービスのコンセプトや体験全体のデザインを行えばいいのかよく分からない。質の高いアウトプットにつなげたいという課題。
が、その期待の背景にあるのではないでしょうか。
前者はいうなれば「インプット」に関する領域で後者は「アウトプット」に関する領域にあたると言えるのではないかと思います。デザインにおいて、インプットとアウトプットの両方のクオリティが必要であることは言うまでもないことですが、さらに、というよりも今とこれからの時代のデザインに本当に重要なことはインプットとアウトプットをつなぐ「スループット」ではないか、ということをこの数年ずっと考えています。
スループットは工学的には、
機器や通信路などの性能を表す特性の一つで、単位時間あたりに処理できる量のこと。 ITの分野では、コンピュータシステムが単位時間に実行できる処理の件数や、通信回線の単位時間あたりの実効伝送量などを意味する — 引用:IT用語辞典ー
言葉ですが、デザイン的に解釈するならば、
インプットを解釈することで「意味」を見出し、インプット以外の情報や時間的な変化をも加味しながら自分の中で再解釈することでアウトプットすべきこと=デザインすべき「意味」と「価値」の再定義を行う
ことと言えるのではないでしょうか。
言い換えるならば、インプットとアウトプットの間をつなぐ「熟成と再解釈」のプロセスであると言いかえても良いと思います。
デザイン教育において手法論やフレームワークは非常に重要です。
誤解を恐れず、いささか極端な言い方をするなら、おそらく天才的なデザイナーであればリサーチやフレームワークを用いた発想など必要ないでしょう。なぜならば、常日頃から自分の感覚で様々な情報を集め、自分の中の引き出しにストックし、時代や世の中の変化の兆しを感じながら自身の頭の中でじっくり熟成と分解、そして自身の観点や解釈を加えて「意味」を見出していくことができるので、自ら強い仮説を立てることができるからです。言うなれば、「抽象的なことを安易かつ軽率に具象化せず、ぎりぎりまで抽象度の高いまま頭の中で扱うことができる」訓練をしているか、そのような能力・適性を予め持ち合わせているのです。
とはいえ、残念ながら筆者を含め多くのデザインに関わるひとは全員がそのような能力を天から与えられているわけではありません。だからこそ、天才的なデザイナーが個人で行える上述のようなプロセスを、仲間と一緒に、共有・共創しながら、少しでも良い成果を出せる確率を上げて取り組むために、手法論やフレームワークは重要であるとぼくは常日頃痛感しています。だからこそ、手法論やフレームワークをしっかり身につけ、実践することには大変意味があります。しかし片方で、具象的でプロセス化されたそれらを過信しすぎると、冒頭に書いたような「やってはみたもののうまくいかない」悩みに直面するひとも少なくないのではないでしょうか。その理由は、
なぜ、この手法論が生まれたのか?
なぜ、このフレームワークが体系化され多くのひとに使われるようになったのか?
なにを目的として、自分はこの手法、フレームワークを使おうとしているのか?
という問いを立てることを、ついつい忘れてしまうからです?
手法論やフレームワークは、手順を踏みながら、仲間たちと共創していくためのエレガントで便利なツールに過ぎません。重要なことは、せっかく学び、身につけたそれらのインプットを何を目的として使うか?どのようなアウトプットを出すことを期待してプロセスを設計する必要があるのか?を、悶々としながらも自分の中で答えを見つけようと努力する過程であり、意図を見出そうとする過程そのものです。そのうえで必要とあらば、手法論やフレームワークの『型』を勇気と意図(intention)を以て捨て去ることもあり得るでしょう。
例えるなら、華道や茶道、能などの道や芸事でいう『守破離』のプロセスになぞらえることもできるでしょう。
そのような「熟成と解釈の時間」を面倒がらずに持つことで、学んだことを自身の中で再解釈し、本当の意味で自分のモノにしていく「スループット」が、結果的に優秀なデザイナーのように、
抽象的なことを安易かつ軽率に具象化せず、ぎりぎりまで抽象度の高いまま扱う
ことが、少しづつできるようになるための非常に大切なプロセスであるということを提言しつつ、どのようにして「スループット」のための機会や経験を学習者に提供できるか?少しでも取り組みやすい環境をつくるための方法論とはなにか?について、在野のデザイン教育者の端くれとして、自分自身の来年の課題として考えてみたいと思います。
今年も残すところあとわずか。
皆さんによい聖夜と、ロマンティックな年末年始が訪れますよう。
I wish our Merry Christmas and Happy New Year.