「ペルソナって古くないですか?」という質問を受けた話

数年前からHCD(Human Centered Design:人間中心設計)の啓蒙・普及団体であるHCD-Netにおいて、HCD/UXD手法論のデザイン実務家向け教育のお役目を頂戴している。
いろいろなレベルや産業クラスタに属している学習者にいろいろなことをお教えすることは、自分自身の考えの整理と新しい視点の発見のためにとても役立つので、可能な限りそういった機会はありがたくお請けするようにしているのだが、先日まさに考えさせられる質問を受けたので自身の備忘録を兼ねて書いておきたい。

昨年から某所において、たった5日間でHCD/UXDにおける主要なデザイン手法を学び、デザインプロセス全体を実践演習形式で経験する、というクレージーなブートキャンププログラムを用いて連続講義形式で実施している。
その連続講義内の質疑応答的なディスカッションの際に、ある受講者(現役大学生)が、

「ペルソナって古くないですか?」

という質問、というか問題提起をしてくれた。
上述の受講者が「ペルソナって古くないですか?」という真意は、

「わざわざペルソナを作成したとしてもユーザー(や取り巻く環境)は変化するし、どうせそういった変化に応じて臨機応変に製品・サービスを改良していく必要があるんだとしたら、固定的なペルソナを設定する必要性は薄いのでは?」

という素朴な疑問だったと理解している。
釈迦に説法ではあるが、デザインペルソナの体系的な考え方はアラン・クーパーが提唱した「ゴール指向型デザイン(Goal Directed Design)」というデザインコンセプトにおける重要概念だ。
製品にはユーザーがいて、ユーザーが結果的にしたい・得たいと考えているゴールを明確にすることで、そのユーザーゴールを最良の形で実現させる状態に製品はデザインされてなくてはならない、というこの考え方は、アランが提唱した当時”ヒドいもの”が多かったソフトウェア設計・開発の領域に、ユーザー中心という確固たる指針をもたらした。
つまりゴール指向型デザインのコンセプトが提唱されるまでは、「誰の、どんなゴールを実現するため」に製品がつくられているか?考えられているか?という観点ではなく、ややもするとデザイナーがデザインしたいようにデザインし、プログラマーがプログラムしやすいようにプログラムされた製品(ソフトウェア)が少なくなかったということだ。
デザインペルソナが重要なデザイン指針として提唱された背景にソフトウェア設計(しかも当時のソフトウェアの多くは比較的限定された機能遂行型であった)があったため、ペルソナはユーザーにとって「機能的、行為的なゴール」を「どのような情緒文脈」で行えるように製品を設計すべきか?を整理したもの、という観点で捉えられることが多いのだが、これは大きな誤解だ。
製品・サービス設計においてペルソナを作成する最大の意味は「価値観」と「期待するコンテクスト」を多くのひとが直感的かつ端的に理解し、ペルソナとして描かれている仮想の人格に「感情移入」できる状態にすることにある。
ペルソナは丁寧な探索的調査で得られた質的に深い一次情報をもとにつくられる。(つくられなければならない、と筆者は信じている。)
しかし、ペルソナは調査結果を分析し、”理解しやすい”ポイントを整理したレポートではなく、「ある特定の価値観やライフスタイルをもった顧客」を深く理解し、その人格がもつパーソナリティや価値観の背景、こだわりなどの本来”理解しづらい”ことを感じ取り、深く深く感情移入することでアイデアを生み出すためのツールであるべきである。
そのためには、質的な調査で得られた”抽象度の高い”要素を、安易に具象化しすぎず抽象度が高いまま解釈し、解釈しきった末に残るエッセンスのようなものを絞り出さなくてはならない。
その過程で、本当に大切な要素、特徴的な要素を凝縮しながら贅沢に情報を捨てていき、これ以上ないくらい純度をあげた結晶をナラティブに描き出した結果がペルソナなのである。
ただ、このような深い解釈と凝縮のプロセスはプロジェクトに関わる全てのひとが等しく関与・共有できるわけではない。
だからこそペルソナは、簡単にはブレない(経時によって少々のユーザーニーズや環境の変化はあったとしても)文脈的なゴールやニーズを一般化(普遍化ではない。この点についてはまた追って別稿として整理したいと考えている)・モデル化したアウトプットとなり、ペルソナが生成されるまでのプロセスで取り扱わざるを得なかった質的に深い情報を都度振り返らなくてもこの先はペルソナだけに集中していればOK、というプロジェクトチームにとっての強度の高いクライテリアになるのだ。
これが、「ペルソナは実在する人物である必要はない」と言われる所以である。
(厳密には、実在する人物から得られる具象的な一次情報が元になるが、ニーズや価値観を解釈するプロセスの中でそれらの具象情報は高度に抽象化され、その過程で重要に扱うべき”意味”が紡ぎ出されるため、実在の特定個人にのみ依拠した人格とはならない場合がある、という意味である。)

このような考えに照らすと、抽象度の高い文脈要素をぎゅっと人格することで捉えやすくするペルソナは、特に様々なひとが関わる共創的なデザインプロジェクトにおいて必要性、重要性が高いと言えるのではないだろうか。

本稿の結びに身も蓋もないことを言うが、世の中にはこのような面倒な手間(リサーチをする。ペルソナをつくる、など)を掛けなくても、自身が向き合うべき顧客や社会のニーズ、特に「未来のニーズ」が手に取るようにわかる3種類のひとたちがいる。
それは、

1.天才
2.巨匠
3.超絶にセンスのいいひと

である。
これら3タイプのひとたちに共通する能力は、

自身の目を通してヒントと感じる極めて抽象度の高いことを、急いで安易に具象化せず、自身の中にストックされている引き出しや知識をアタマの中でこねくりしながら、新しい意味としてアウトプットできる

という類まれなものだ。

ふぅ。。なので至って凡人である筆者は、今日も面倒と思いながらも愚直に、地道に探索と解釈を続けたい。

※ペルソナを理解するうえで有益な書籍をいくつか紹介します。

The Inmates Are Running the Asylum: Why High Tech Products Drive Us Crazy and How to Restore the Sanity (Alan Cooper,2004)
https://www.amazon.co.jp/Inmates-Are-Running-Asylum-Products/dp/0672326140
Designing for the Digital Age: How to Create Human-Centered Products and Services (Kim Goodwin,2009)
https://www.amazon.co.jp/Designing-Digital-Age-Human-Centered-Products/dp/0470229101
The Persona Lifecycle: Keeping People in Mind Throughout Product Design (John Pruitt, Tamara Adlin,2010)
https://www.amazon.co.jp/Persona-Lifecycle-Throughout-Interactive-Technologies-ebook/dp/B006OM89KQ

ペルソナ、なめんなよ。

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