或る先生からの手紙
先日、書類の整理をしていたらとある封筒が出てきた。先生からの手紙だ。 先生といっても、学校の先生ではない
私が中学生の頃一時期通っていた小さな学習塾の先生のことだ。 家の母親が見つけてきた学習塾なのだが、
薄汚いアパートの二階にあって、今思えば売れない作家の部屋みたいなところだった。
そんな怪しい学習塾でも何名か生徒がいて、皆それぞれのペースで課題をこなし、点々ばらばらに帰っていった。
私といえば、漢字の書き取りなどはかろうじてこなしていたけれど、数学のプリントをみるとどうにも眠気がこみ上げてきて、よく眠りこけてしまってふと気が付くと生徒は私一人だけなんてことはざらであった。
先生はそんな私の事を起こすという事はなかった。 その代わりに色んな話を聞かせてくれた。
三島由紀夫が切腹した時の話、東洋の哲学の話、生物の授業でおよそ触れることのないであろう昆虫や小動物の生態の話、そういった類の話で不思議と私の眠気は吹き飛んだ。
そして、先生はたくさんの詩を読ませてくれた。 谷川俊太郎 草野心平 寺山修司 中原中也など、今となっては自分の血や骨になっている作家ばかりだ。 どの人も学校の教科書に載ってはいたけど、自らそれらの詩集を開いて
みると、教科書で取り上げられている詩の比ではないくらい凄まじいものだった。時に優しく、時に狂気すら感じる
詩の世界にすっかり夢中になり、中原中也に関しては当時特にインスパイアを感じて先生からボロボロの詩集を
借りてそのままもらい受けてしまったほどだ。
肝心の手紙が届いたのは、そのボロボロの詩集を手に家出をした後のことだ。私が薄汚いアパートの二階を借り、
手のひらほどの自由を手に生活していた時、実家から転送という形で私の元に届いた手紙だ。
「残暑見舞い申しあげます 元気かい? その後どうしてる? ヒマをみて 話に来ないか?」と書かれた便箋と私が興味を持ちそうな昆虫の生態のコラムが何篇か、そして、作者不明の詩が一篇封筒に丁寧に畳み込まれていた。
私はその手紙は嬉しかったものの、すぐに先生には会いに行かなかった。 そして暫くしてあの薄汚いアパートを
尋ねると、そこにあの学習塾はなくすでにもぬけの殻だった。
物を整理するということは心を整理することなのだろう。 今このタイミングでこの名もない詩に再会したことが何を
意味しているのだろうか?
「ある晴れた秋の日」
「年をとるのってどう?」
「いいよ。 たとえば、遠くに行かなくたっていい。 あの木のところに戻ってくる
それでいい。」
「アフリカのことは?」
「頭の中にある。 でも、もう少しすると忘れる。」
「全部?」
「全部。 どこで生まれたとか、誰と暮らしたとか、何を食べて、どんなことがあったとか、 全部。」
「友だちは?」
「忘れる。」
「ぼくは君のこと忘れないよ。」
「ありがとう。 でも、今に君も忘れるよ。」
「何もかも無くなるのかな。」
「ちがう。 あったことはなくならない。 ぼくらがこうして、今、ここにいて、仲良く話していることはなくならない。 ただ、ぼくらが忘れるだけだ。」
「哀しいね。」
「うん、ちょっとね。 でも、それでいい。」