日本帝国陸軍の靴のサイズ展開について
現在、ウェブ上の資料のみを頼りに調査を進めているため、信憑性の問題を問う段階には至っていない。
したがって、本稿はあくまで途中経過の記録であり、確証を得るためには、今後、収集した情報を正式な文献によって裏付ける必要がある。
1959年(昭和34年)1月1日に尺貫法が廃止され、メートル法が施行されるまでは、日本の靴のサイズには「文(もん)」が使用されていたとされる。
1文は約24mmに相当するため、10文は24.0cmに相当する計算となる。
しかし、24mm刻みでのサイズ展開は現実的ではないと考えられるため、より詳細な資料を求め、国立公文書館のアーカイブを検索した。
その結果、『被服標本並軍靴木型交付及同取扱方の件』(防衛省防衛研究所所蔵・陸軍省大日記 甲輯 大正2年 永存書類 甲輯 第3・4類)を発見したので紹介する。本資料は手書きで記録されており、朝鮮皮革株式会社が作成したものとされる。内容としては、靴の製造に用いる木型がサイズごとに何台交付されたかを記したものである。
記録によれば、1文(24mm)に対し、0.0、0.3、0.7といった端数が記載されており、これに基づくとサイズピッチは8mmであったことがわかる。最小サイズは9.3文(22.3cm)、最大サイズは12.3文(29.5cm)で、全10サイズの展開となっていた。
なお、本資料には幅(ウィズ)に関する記載はなく、レングス(長さ)のみが記録されている。
軍用品と民生品とは規格が違うとも考えられるので、もう少し調べていく必要はあるのであろう。