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きょうの一文7

「にしても、やはり「ふ号兵器」は、苦しまぎれの兵器にはちがいありませんでした。」
(野坂昭如「戦争童話集」中公文庫1991年9版 p.110)

ふ号のふは風船のふ。ジェット気流に乗せて兵器を飛ばす、という発想自体が、漫画的だけど、その浮かんでふわふわ飛んでいく絵こそがずばり漫画だ。風船というやつはどうも、何か独特の雰囲気を醸し出す。ジョー・ヒルの短篇にも風船人間の話があった。藤枝静雄の「空気頭」という題名も、なんだか風船っぽい。つまり風船とはどうやら人間の(空っぽの)頭に似ているのだ。ビジュアルとその空気の閉じ込め感、ゴム一枚を境にして空気圧がせめぎ合う。外の風と内なる息吹との図らざる存在の揺らぎが、ゴムの色や、その姿形ゆえの人間の頭の連想を持ってして、奇妙な実体となってゆらゆら揺れる。そんな風船の中には、ついには学生たちの気息が詰め込まれた、行き詰まった情熱の先、終戦後に「ふ」抜けとなって。


野坂さんの「童話集」を開いた時には、特に「凧になったお母さん」の優しさと凄まじさが、ぼくに繰り返し読むことを強いてくる。この印象がこびりついて離れない憎々しい本だ。

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