英語嫌いから始めて、ELFに出会い、英語研究者になった自己紹介➄ MBAで学び、外資系で働く。
アメリカのMBAに行く
前回は、北京で英語を使って働きながら、アメリカに留学したいと考え始め、留学が決まるまでを書きました。
そのアメリカ留学で考えたことです。
初めてアメリカに行って思ったこと
こうして私はアメリカの大学院でMBAの勉強をすることになりました。
ペンシルべニア大学は、ニューヨークから電車で2時間ほどのアメリカ東海岸の古い都市、フィラデルフィアにあります。この街はその当時、治安の悪化が問題になっていました。中心部にはユニークな摩天楼と店が並び賑やかな一方で、中心から少し外れると、道は穴だらけでゴミが散らかり、45丁目から先は、「一人では絶対に歩くな」と言われたりしました。
キャンパスは、木々が生い茂る中に、風格のある古い建物と新鋭のビルが交互に見え隠れして、ゆったりと美しく、アメリカとはこういうところか、と面白く見まわしました。
私はMBAとMAを2年で学ぶジョイントディグリーのプログラムに入ったので、他のMBAの学生が9月に授業を始めるよりも4か月早く、新緑がまぶしい5月に授業が始まりました。52人と小規模のクラスで、アメリカ人が約半分、残りは南米、ヨーロッパ、中東と世界中から集まっていて、アジアからはシンガポール人が1人、日本人が2人でした。
近頃のアメリカやイギリスの大学では、中国人やインド人を筆頭に、韓国やタイやベトナムなどアジア諸国からの留学生が多く、日本人は少な目であまり目立ちません。しかし、当時はアジアの留学生はとても少なく、その中で圧倒的に日本人が多かったのです。
なんとかMBAの授業についていく
英語について言えば、アメリカの大学に行ってみたら、リスニングとスピーキングは、課題は山積ながら、とりあえずなんとかなりました。北京で毎日英語を使っていたおかげで、英語の使い方のコツが身についていたのだと思います。
講義は、わかる部分に集中してできるだけ理解し、わからない部分は深追いせずに飛ばして大意をつかんで何とかしました。もちろん、聞き取れなくて困ったことも多く、あとで、教科書で確認したり、まわりの人に聞いたりしました。
ただ、英語で大学の授業に参加するには、英語で聴く、話す、読む、書く、すべてのスキルを使う必要があります。英語で「資料を読み、講義を聞いて、ノートを取り、考えを整理し、発言し、レポートにまとめる」と、すべてのスキルがつながっているからです。
私はこんなアカデミック英語のスキルの訓練を受けたことがなく、試行錯誤しながら自分にあった方法を見つけなければなりませんでした。この留学の経験から学び、今に至るまで重要と思うことは、3つあります。
英語で読むのは大変だ
まず、外国語である英語の資料を大量に読む難しさです。
アメリカの大学院の授業では、「Reading Assignments」という事前に資料を読む宿題が出ます。これが、細かい文字の教科書の20ページだったり、ぎっしり情報が詰まった30ページのケースだったり、テーマに関連したビジネス系の雑誌記事数編だったりします。
それぞれの授業にReading Assignmentがあるので、毎日30ページから50ページの英語を読む宿題があるわけです。
日本語ならこれくらいの資料はなんとか大筋を理解できるかもしれませんが、私の当時の英語力では全く無理なことでした。最初の数ページを読むだけで、集中力を失い、つい寝てしまう状況でした。
そこで、冒頭から英語で詳細を読むのではなく、確実に全体を理解する方法が必要でした。重要そうな部分だけ探して読んだり、目次や見出しを丁寧に調べたり、段落の最初の文だけをどんどん読み進めたり、斜め読みで目につく単語だけを拾って、大まかな内容を把握したり、と試行錯誤しました。
Reading Assignmentを全く読まずに授業に行って指名されたりしたら大恥をかくので、思いつく限りの手段を凝らして、大筋だけでも資料を理解し、何かは言えるようにと考えました。
仕事で英語を使う多くの人にとって、英語を読むことは今後も重要になるだろうと思います。様々な情報を英語から吸収することは避けて通れないし、関連のありそうな英語の資料は増えるばかりです。
大量の英語情報を読んで内容を理解することに、私は今に至るも苦労をしつづけています。研究者になると読みたい論文は数かぎりなくあり、これが日本語だったらどんなに楽だろうとよく思います。
日本の学校では英語の短い文章を読む訓練は受けますが、たとえば英語の本を一冊、一週間で読むような機会はほとんどありません。
日本語なら簡単にこなせることが英語でできないのが、とても悔しいと、2年の大学院生活で何度も感じました。
英語が苦手だと、いい成績が取れない
次に、英語が苦手だと、良い成績を取るのは難しいと、しみじみ思いました。
英語で聞く授業の理解度は低いし、英語でノートを取ろうとすれば聞き逃し、聞くのに集中すればノートがとれませんでした。苦労した英語のノートを後で見返すと、ぐちゃぐちゃとした英語が見にくく、肝心のキーワードが抜け落ちていたりします。
試験になると、短時間に文章に答える問題がいくつも出ました。
私たち、英語のノンネイティブは、問題を読むにも、解答を書くにも人一倍時間がかかります。アメリカ人に比べて、最低でも2倍くらいの時間がかかったと思いますが、与えられる、試験時間は同じです。
試験だけでなく、普段のレポートも、英語で書く力が重要になります。
週に一度ぐらい、A4 で 2ページほどの短いレポートを提出する宿題が出ます。長い時間をかけて苦労して書いたあげく、下手な英語だと自分でわかるレポートを提出するので、情けない気持ちになりました。
たまたま隣に座っていた、インドからの留学生のレポートを読ませてもらったら、難しい語彙を駆使して流暢な文章でレポートが書かれていて、私の英語の貧弱さとくらべ、さらに落ち込んだのを覚えています。
この10年以上も後、イギリスの大学で、留学生のための英語ライティングコースのアシスタントをしたり、留学前の英語特訓コースの講師をやってみて、レポートライティングは世界中の留学生の共通の頭痛のタネだとわかりました。
日本でも、英語で自分の考えを論理的に書く訓練をする機会が増えるといいと思いますが、ライティングを教えるのは手間と時間がかかり、とても大変です。私も授業になかなか取り入れにくいです。
そんなわけで、海外の大学、外資系企業や国際的な組織で、英語力の高い同僚に囲まれながら、私たちノンネイティブが、自分として正当と思える評価を得るのは大変難しいことです。英語力不足が、自分の不満足な評価の主因に思えます。
しかし、英語力を恨めしく思っても、短期間にネイティブに追いつくことは不可能なので、他の打開方法が必要になります。
ネイティブの世界でも、英語より内容が大事
私はマーケティングを専攻しましたが、この分野の試験は全て筆記で、英語の文章で答えなければなりませんでした。
常識的に言えば、英語が苦手な留学生は、英語の文章ではなく、言葉の壁の低い数字で勝負できるファイナンスを専門にするのが得と言われていました。でも、私はマーケティングが好きでした。
とはいえ、筆記試験はいつも時間が足りず、英語がうまく書けず、単語力が不足して、考えついたことを充分英語で書けたと思うことはありませんでした。「卒業さえできればいい、成績は問わない」と思っていました。
しかし、ある時、自分がよく知っている日本の企業をテーマにした問題が出ました。ここぞとばかりに下手な英語なりに、精一杯の解答を書いたところ、DS(Distinguished)、つまり「非常に良い」という成績をもらいました。
優秀なアメリカ人の同級生でもなかなか取れないDSをもらって、私はびっくりしました。全く予想外でした。そして、「これならなんとかやっていけそうだ」と楽天的な気持ちになってきました。
これは、英語の世界で生きる時、英語の下手さ加減に悩み、歯が立つはずがないと落ち込むより、その伝える内容を磨くことが大事なんだ、と考えるようになったきっかけでした。
英語のネイティブの世界で暮らしていると、まわりはみんな英語がうまいですが、段々と、いい話をする人がいる半面、つまらないことを長々と話す人もいるとわかってきます。
授業でも、ほとんどすべての学生が、正確で流暢な英語で、自信のある様子で話しますが、当たり前すぎる意見や本筋にそれた意見を言う人も多くいます。
その中で、自分なりに納得できる評価を得るには、英語の流暢さより、中身の良さとわかりやすい伝え方が重要と考えるようになりました。英語をネイティブのように話すことをめざすより、自分ならの中身を磨き、それを英語で適切にわかりやすく伝えることに集中しようと思いました。
もちろん、英語で仕事をするには、言葉による自己表現が不可欠なので、ある程度の英語力は重要です。でも、全員が流暢に英語を使う世界では、流暢に英語を話しても当たり前、内容がなければ評価されません。
日本語でも、正確でよどみなく日本語を話せても、つまらないことしか言わなければ、興味をもってもらえないのと同じです。
ただし、日本語でも、英語でも、言葉の多様性にあまり慣れない人は、欠点が目出つ外国人の話しかたに、ちくちくと苦言を言う人がいるのも事実です。
幸い、私が履修していた授業の教授たちは、言葉の多様性が当然の大学にあって、英語下手のノンネイティブの留学生の苦労もわかっていて、言葉の流暢さを重視せず、内容が興味深ければ評価してくれたのです。
日本人は発言しない?
ところで、この時期のアメリカのMBAには、日本のビジネスパーソンがたくさん来ていました。日本からの留学生は、日本のトップ大学卒で、有名企業で選ばれた優秀な方が多く、日本の会社社会の常識から外れたルートを経由してきた私から見ると、まぶしいほどでした。
ただ、授業になると、日本人で発言する人は必ずしも多くはありませんでした。
私はこの後、外資系企業やアカデミアで英語を使い続けていくわけですが、日本人があまり発言しない、ということは繰り返し感じることになります。
アメリカの授業では、participation、つまり積極的に発言し、授業に貢献する力を高く評価します。情報を受け取るだけでなく、自分の考えを提供してクラスの議論を深めることに参加する力が重要なのです。発言しないと、貢献していない、と評価されます。
だから、アメリカの大学院では教師が問いかければ、教室のほぼ全員が一斉に手を上げるのが当たり前です。日本の大学の教室とは大きく違います。
日本の大学で教えていると、学生は知識を吸収する重要さはよく知っているけれど、自分の知識をアウトプットして他の学生と意見を交換し、クラス全体の分析を深めたり、新しい知見を作ることには、慣れていないと感じます。
しかし、もし英語を使う国際的な世界で、貢献したいと考えたら、英語で発言する力は、とても重要です。
日本人の多くがあまり発言しないのは、なぜなのか、どうすれば変えられるか、そのためにどんな教え方がいいか、というのは、今私が教えながら考えるテーマの一つです。
MBAでは暗記はほとんどなかった
英語力がかなり弱かった私が、それでもMBAの勉強が楽しかったのは、暗記がほとんど必要なかったからだと思います。
多くの試験は、ノートはもちろん、教科書さえももちこめて、試験前に急いで暗記することはほとんどありませんでした。理解し、分析し、それを表現する力が問われたからです。
授業も、資料を事前に読み、先生の短い講義にヒントを得て、学生たちが自分の考えをDiscussionして、最後に先生がその授業の成果をまとめるスタイルでした。
私はもともと日本語で本を読むのは好きだったし、調べて考えることも好きでした。だから、MBAの授業が私には面白く、性に合っていたのです。
この後10年以上たって、私は自分の子どもをイギリスの幼稚園から大学の教育制度で学ばせますが、やはりインプットとアウトプット、理解と意見の表明が重視されているのを経験します。
正解や解法の暗記が重要な日本の教育と、資料を集めて自分の意見を発表したりレポートにまとめることが重要なイギリスやアメリカの教育では、個人によって、得意や不得意、向き不向きがあると思います。
たまたま生まれた育った国の教育制度の勉強法が得意か不得意かによって、学校の成績や進学に大きな影響があるな、とつくづく思ったものです。
このように、英語の苦労をして山あり谷ありではありましたが、私は無事2年で、MBAとMAの学位を取りました。
IT外資系で働く
2年間の大学院でのMBA/MAを卒業した後は、日本に戻り、アップルの東京支社で働き始めました。
アメリカの大学で、当時最先端のIT技術を使うのが当たり前の環境で学び、ITが私たちの生活を変えることに感動したからです。これらの技術は、やがて日本でも普及していき、私たちの生活を大きく変えていくに違いない、その変化の中で仕事をしたいと思ったのです。
アップルでは、私はマーケティングの実務についてたくさん教えてもらいました。今振り返ると、ITマーケティングの現場も、IT技術もよく知らず、随分と失敗もしました。当時の同僚に心から感謝しています。
アメリカ人と仕事をして思ったこと
その頃の私は、英語をかなり使えるようになったつもりでしたが、アップル本社のアメリカ人と真剣勝負の仕事をするようになって、MBAの時よりもっと切実に、ネイティブとノンネイティブの英語力には差があることを感じました。英語って、やればやるほど難しさがわかるんだ、と思いました。
私はアメリカの大学院を卒業したばかりで、社内では英語を使える即戦力という位置づけだったと思いますが、実際には、アメリカ人と真剣勝負の仕事をすると、自分の英語力がまだまだ足りないことを痛感しました。
たとえば、私は大学院で散々英語のレポートを書いてきたつもりでしたが、実際の仕事で英語でメールを書くと、相変わらず下手だな、と思いました。
簡単なメールは短時間で書けるようになりましたが、複雑な事情が絡むと、私は英語でちゃんと伝わるか自信がなく、くどくどと英語で説明してしまいました。きっと、同じことを繰り返す説明が続き、わかりにくいメールだったと思います。
また、MBAの授業でスピーチやプレゼンの練習を何度もしましたが、アメリカの企業が対外的に使う英語の洗練された言い回し、独特の表現は全くレベルが違いました。個人の責任で使う英語と、国際企業が発信する英語は、全く別ものです。
マーケティング担当として、当時のアメリカ本社のトップのスピーチライターを補助する仕事をした時には、自分の英語力のなさが痛感されました。
今になってわかることですが、スピーチライターというのはとても特殊な仕事で、大学院を出たばかりで、仕事の経験も浅い私が貢献できるようなものではありませんでした。
今ではアメリカ人のスピーチを毎日のように聞いていますが、それでも、あのように洗練され、言葉の力強いスピーチを自分で書けるとは全く思えません。母語というのはこれほどまでに深いものなのだと実感します。
イギリスに家族と住む
アメリカの大学院を卒業後まもなく結婚し、この頃小さな子どもが2人いた私は、忙しい仕事と育児にてんやわんやでした。
IT業界は仕事の変化のスピードが速く、予期しないトラブルも多いうえ、週末にも展示会などがあります。子どもの保育のサポートに、私の給料の殆どをつぎ込んでいる状態でした。
それでも、家族の生活に充分時間が取れていないし、仕事も思い通りやれていないと感じ、いらだちが強くなっていました。
そんな毎日の中、夫がイギリスのロンドンに駐在することになりました。
それは素敵だ!
私も3年ぐらい仕事を休み、まだ知らぬヨーロッパ、とくにイギリスでゆっくり暮らすのはバラ色に思えました。
私はこうして仕事を辞めて、家族4人渡英し、ロンドンの郊外の自然の中の一軒家を借りて、暮らすことになりました。
これが、結局、在英16年になるとは、その当時全く予想していませんでした。
2024年12月23日、初めての本を出版することになりました。
読んでいただけると嬉しいです。