劇団四季「ゴーストアンドレディ」2幕 Still I believe, still by your side
『劇団四季「ゴーストアンドレディ」1幕 One Life One Soul~人生と魂の絆』より続いております。演出家のスコットさんと偶然握手させていただくご縁に恵まれたただの人が、そのご縁に何かお返ししたくて始めた、個人的な覚書です。セリフや場面はさらにあまりにうろ覚えすぎ。なんというか、正確に覚えておくよりも大事なことが頭に残っていると思うのです。私と違って観察力の素晴らしい皆様、ぜひお見逃しを。2幕以降は観たものを書く部分より、考えることが多かったです。
【 アントラクト/さあ 言え! 】
ファンファーレのように高らかな音が鳴り、二幕が始まってすぐ、かわいいボブとグレイの絡み。からかう様にあしらうグレイにキャンキャンまとわりつくボブの様子は、アイスブレイクのような挿込みでありながら、この後のデオン様仕切り直し登場にて「お前、ナイチンゲール様を護っていたのか!(いいヤツ!)」に、肩をすくめてまぁね、ってかえす感じのグレイの小芝居がいい感じ。ボブの使い方が秀逸です。しかしデオンにフローは俺が殺る!みたいにグレイが言っちゃってるの、フローの護衛で必死すぎて聞こえてないことになってるのかなボブくん(笑)
【 ランプを持ったレディ 】
誰も独りで逝かせない、のシーン。原作では亡くなる兵隊の数が減らず自信を失いかける中でも、逝く人に寄り添い、毎晩見周りを続ける彼女の姿に天使を見たと兵隊が涙するところです。戦場も看護も、きれい事ではありません。看護師はおそらくどの時代でも、絶対天使ではありません(命預からせていただいてるんで、はっきり言って厳しい人が多い)。あの環境下で、やるべきことを見失わず貫きとおすには、親切心や優しさだけでは到底足りません。「偽善というなら、私はこの偽善を貫く」という言葉に込められた真意は、神に召された者だからできるのではなく、私(フロー)に続く多くの人たちの存在を信じ、自身が歩んだ道を確信しているからこそ。この史実には、彼女へ心からの尊敬を覚えます。…さっきから舞台描写がほぼないのは、すっかり気持ちが持っていかれて観とれていたからです…いいことだ、うん。
原作では、付きまとったところで、どうせ私はこんなにつまらなくて暗い女ですよ、といじいじ呟くフローに、そんなのは俺が決めることだ、とバッサリ悩みを振り払ってくれるグレイ。こんなん言われたら絶対ホレてまう(笑)。グレイが私に教えてくれるのですか…✨とお目めきらきらフローに引き気味のグレイが、えぇーい、聞くのか聞かねぇのか!と啖呵切るところなんかも大好きで。そこいくと舞台のフローは清く正しく逞しく、グレイへの気持ちもストレート! それが演出として最適解だったかもですが、私は原作の紆余曲折遠回りしながらも奥ゆかしくも燃えるように慕い続けるフローの気持ちが、大ラス「バカ…!」からのKissにつながる展開でたまらなく好き…な一方で、舞台フローとグレイの最後が清々しくはっきり「俺が惚れているのはお前だけだ!」好き~っ!Kissの瞬間、うぁあ!グレイがフローに好きっていったぁ‼と驚きつつもこの展開も捨てがたく…結局どっちも好き…になっております。(バカ…!)
【 限りなき感謝を 】
優雅な登場からお手振りまで、女王様素敵でかわいいんだけど、驚いちゃって…😳。これはイギリスでセーフなの⁈ ドルーリーレーン劇場でやってるんだよね⁈…って思った人、いらっしゃいますか? バカ真面目に私は心配していました(笑) のちにイギリスに凱旋する時は、このままこのシーンは演じてしまうのかな? …え、そんなこと考えてるの?って思った方、グレイはドルーリーレーン劇場の主演俳優&演出家😊 当分芝居はお預けか、なんていってましたが、ぜひ戻ろうね!グレイ(笑) うわ~イギリスで観た~い‼ ドルーレーン劇場で、日本語のままで歌ってほしい!
【 呪いと栄光 】
デオンがデオン様たる人生をたっぷりどっぷりと語るこの独壇場。栄光の陰で、納得がいかない死に様だったことだけが心残りでこの姿に、という設定ですが、はたしてデオンは(女とバレず)讃えられたまま名誉ある死を遂げればこうならなかったのか? 「女に生まれたことは呪いでしかない!」と言い切っています。そうなの? でも、当時の背景を考えればそう思い込まされてもしまうか。フローとグレイのような、性別や生死を越えた対の存在に、デオンは生涯通じて出会えていないか、出会う機会があったのかもしれないが、弱くなってしまうことを恐れ、拒んでいたのかも。いわゆるお独り様が不幸だとは私は思いません。が、デオンは生前の死を「僕に相応しい最後」に書換えたいと思っている。それは独りで逝く時はそうではなく、スポットライトを浴びていた時が心地よかったということ。彼女にとってお独り様は尊厳ある死ではなかったようです。デオン自身が女であることを誰よりも強く意識し、女であることが全ての元凶として、自分自身のアイデンティから目を背け演じ続けているが故、人生がより拗れたのでは。まあ今更いつキャラ変したらいいか、って難しいよね。でもねぇ、好きな人には好きーって思ったまま、まっすぐ伝える時がキャラ変のチャンスだと思いまーす(笑)。私自身は、狂気を纏ってグレイに迫る原作クライマックスのデオンの表情が、最もストレートに気持ちが表出されていると思います。その後の戦闘シーンの原画は、ヤバいの域でしたよね@黒博物館原画展。何分見ても飽きることなくただ溜息。やはり藤田先生の漫画は眼、眼(まな)「刺し」です。
グレイに強引にお姫様抱っこさせ、不遜な笑いを浮かべて素早く身を翻すところは、2人の関係をからかい鼻で笑う素振りと、本当はちょっと羨まし気な強がりか。「特にあの瞳がいい」と評されたフローの瞳に、まばゆいばかりの純潔さと引き裂きたくなる程の嫉妬をあわせ抱き、デオンはかき乱される自身の心を払い退けるかのように夢中で剣をふるっていたのでは。自ら選んだとはいえ一生素直になれない業を背負わされたデオンは、清らかな光に包まれる時やっとすべてから解放されるんだね、きっと。
「もっと強くなるんだな、彼女を護りたいなら!」「…護りたい、なら…?」 ん~~っ、デオン様、グレイに素敵なトドメをありがとう〜 最後まで2人の関係とフローの存在を引き立てる重要な役どころ。ファン急増は無理もない話。舞台のデオンは「デオン様」、原作は「デオン」とキャラ付けが違う分印象も呼称も変わる方多いですね。
【 あなたが遠くて (リプライズ) 】
あのー、「キミは一人でも大丈夫」ってここで置いていくのは、どう考えてもとんでもなくヒドイ奴だと私は思うのですが、皆さまの見解はいかがでしょうか(苦笑)。しかも目をかけ育てた大事な後輩は「道をみつけました 結婚します、彼と!」って⁈ 花嫁として迎えイギリスに一緒に来週帰国する⁈ はぁ?!?!…って憤慨した私が変ですか? エイミーが夢破れ(出木杉先輩は壁高かったよね)結婚します!におめでとう!までは言えるとして、相手がオマエかーーい!ではもう顎が外れそうでした…。これは無理…落ちこむ。大事な人たちが自分の周りから去っていく、たった独りになってしまうこと、これは神に仕える者の使命のうちなのか、耐え忍ぶべき試練なのか。私、わからなくなってしまった。
そうだよ、そりゃどっと疲れちゃったよね…。
そしてどこからともなく、さっと現れフローの嘆きの傍に佇むグレイ。
「…まだ、殺さねぇ、お前は絶望がどんなことかわかってねぇ!」
なんて優しい励ましなんだろう…(涙)
グレイが本当に言いたかったことは
Still I believe, still by your side
俺はお前をまだ信じているし、お前の傍には俺がいる
こういうことだったんじゃないでしょうか。
舞台上はここからグレイの人生振返りとなりますが、このセリフの瞬間が、さらにぐっと2人の心が近づいたと感じます。こんなにグレイに大切に思ってもらえるフローが羨ましいです。
【 裏切りの人生 】
恋とジン、ダンスのキレキレが素晴らしいですよね~。みんなキラキラと楽しそうで目を奪われます。表情もダンスも動きも大きく、オペラグラスで見てしまうと見逃してしまう方々が多すぎて…明日を考えないバカ騒ぎ振りがとても刹那的。舞台として楽しませるための演出であり、グレイの人生を考える場面でもあり。はじめから真夏の夜の夢みたいなものだとわかっていたはずなのに、本気になってしまった理由は恋は盲目だからなのか。生前グレイが、シャーロットから受けた仕打ちに打ちのめされ、デオンに促されるまま止め差されて赤いカーテンを破きながら体に纏いつけるシーンは、本当に見事な止めになっていて、これはため息もの。一枚上手の主演女優:チャーミングこの上ないシャーロットに「女に騙された」とするのが、この場面の説明として間違ってはいないけれど、このシーンを経て、グレイ=ジャックは何かを、誰かを信じたい気持ちを持ち続けているからこそ、ゴーストになったのではないかと思い始めました。最後の「あいつは裏切らねぇ!」「俺は 信じたいものを信じた」という言葉につながります。フロー亡き後もシアターに戻り、星を見上げて彼女の心を思い温かい気持ちを信じ続け、我々に舞台を見せるゴーストとして存在する。そう考えると、話の終章がしっくりくるのです。いかがでしょうか。
【 奇跡の夜に (リプライズ) 】
デオン様の「バカな女だ」ってセリフが、なんだか複雑な発言だなと感じます。羨ましいと思っているんじゃないでしょうか。同じゴーストが、こんな風に庇われる。ゴーストを庇う? 原作ではグレイが「ちっ…どこにゴーストを庇うヤツがいるか」ってツッコんでますが、まさにそう。どういうことだよ⁈という嬉しさと驚愕、フローを庇いきれずボブに怒鳴られた原作グレイは自分への怒りといら立ちを隠しませんが、舞台グレイはちょっとしょんぼり大焦りでボブを呼ぶ姿がかわいらしい。からの霊気ッスですからね!ぐわぁぁ直接いったぁ!(笑)って、何度見てもちょっと恥ずかしいかも、って思ってしまう私と、きゃああああ!な私と(笑)。
俺に、感謝している…? と聞いてときめく気持ちをはっきり自覚するグレイ。「ゴーストになったのはお前に会うためだったんだ 勝手に死ぬんじゃない、俺が殺すまでは」というセリフはもはや「お前を愛している」と白状しているも同然。バカヤロー、俺はゴーストだぞ!そんなことするか!って照れセリフも時に「バカヤロー!」と激しく、または「ばかやろう、、」とため息をつくように。「ばか」だけで奥深い…(笑)。
【 走る雲を追いかけて (リプライズ) 】
正義に目覚める周囲と、戦争のために歪む正義と。舞台上のフローの味方/敵、グレイとフローの気持ちもはっきりしてきました。これは罠だ、やめるべきだと主張するグレイに対し、進むのみと決めて盛り上がっているフローとその周囲たち。言っても聞かないってわかっていても、もちろん心配だし、さてさてどうやって護るかな、と思案するグレイ。そこに恨みに燃える首謀者吾輩とデオンが絡んでくることで1対1×二組の4頭立て豪華アンサンブルが完成。もうこの辺りになると怒涛の展開と音楽&アンサンブルでどこから見て何を聞くのか脳内パニック。デオン対グレイの遠巻き戦闘シーンは、舞台上の鍔迫り合いと髪や服がたな引く様子が妖艶かつ煌びやかで美しく、大迫力のだっただけに、遠すぎてもったいない!もっと手前でやってほしい!と感じたのはきっと私だけではないはず。配信、おいしいなぁ。
【 偽善者と呼ばれても 】
「吾輩にはわからん‼」からの「心の羅針盤を~」の返答歌は、我々も心臓を撃ち抜かれます。わかってたまるか!これが信じた道を進む私なんだ!私の傍にはいつもグレイがいてくれる、だから私は道を間違わずまっすぐ進めるんだ!と、藤田先生のキャラそのもので叫ぶフローの魂を歌声で聞いたように感じます。憑依しているとしか思えない力強さに、俳優という職業への尊敬と羨望、一種の魔法のような感覚さえ覚えます。自分には俳優はもちろんできませんが、例えば今書いているように文章にする、マンガやイラストにして自分の伝えたい気持ちをパフォーマンスや形にして、表現し、伝えたい。伝えたい、と心の奥底から気持ちがわいてくるものに出会えている自分を幸せに感じ、この出会いを与えてくれた藤田先生や舞台にかかわったすべての方に限りなき愛と感謝を感じながら、全身で歌を浴びている…そんな時間です。現状は、ただただ手を握り締め瞬き忘れてガン観です(笑)
殺すのは、今なのよ--- グレイーー‼ の絶唱
胸が張り裂けるとはまさにこの声。思い返すと夜も眠れない切なさ。
フローはこのあと54年間も、たった独りで戦ってきたんだね…。
グレイに迎えに来てもらった時の顔、少女のようで素敵です。
【 限りなき感謝を (リプライズ) 】
ボブ、ずっといてくれてありがとう。「美しい物語のハッピーエンド」と締め括る言葉で、2人が手を取り合って空に向かう合図になるところが感動的。ボブは原作も舞台でも愛され役だなぁ。
【 サムシング・フォー (グレイ リプライズ)】
その場面場面のテーマ曲を短くつないで歌に乗せるところ、全編通してありましたが、心情が同じなんだね、とわかりやすくていい効果ですね。グレイにサムシング・フォー歌ってもらいたい…つか、グレイに取り憑かれたい(笑)
ここはもう語る言葉もないです。とかいって一言。さっきも書きましたが、「惚れてんのは、フローお前だけだ!」のセリフは、私はちょっと腑に落ちてない派です。舞台としてはこちらの方が美味しいし美しいし、魅せ方として表現が分かりやすく受け入れられやすいとは思うのです。が、藤田先生は原作で一言も2人に愛も恋も言わせてないんです。大ラス、グレイがフローと一緒に光の中を歩んでいくと提示されたのを、藤田先生は猛反対して譲らなかったと何かで読みました。それはやはりグレイの矜持だと思うんです。そのシーンが「どうしてもやり遂げてえことがある お前にそれを見せたい…!」となったことで、この2人の永遠に変わらない絆を説明しているんだと信じます。宣伝映像のコピーがまさに「この愛は絶望を知らない」…すごいです。
原作では、口を歪ませながら(原画展で見ると何度も書き直されているので、先生も悩まれた様子)「いい女の誘い」を断り「…まだ見たい舞台もあるからな」と笑顔でフローを空に送り出す。バカ…!と怒りながら唯一のKissで愛と感謝の深さを伝え、わかっているフローは「待っていますね」と返答し消えていく。舞台では静かにフローに笑いかけながら、独り舞台に残り、我々を最後まで見事にエスコートし、涙を流しながら歌いかけてくる。なんて完璧なプロポーズなんでしょう…いい男すぎ、グレイ…(滝涙)
【 不思議な絆 (リプライズ) 】
私たちに深々と頭を下げ、どうよ⁈ と鼻高々な表情すら浮かべて満足そう。「100年以上、かかっちまったけどな!」「フロー見てたか!」と舞台始めの興奮気味な口調で晴れ晴れと語り続けるグレイ。ふと、暗闇をみつめて…
「もう… ニー度と… 会えないと… しーても…」
「2人を---結ぶ---~ 不思議な絆」
ゆっくり舞台から降り、振り返って輝くフローを思うグレイ。
Still I believe, still by your side と語りかけるのは、今度はフローです。
圧巻の纏め上げとラストへのバースは、いつも視界不良で…(泣)
…言葉がありません。去り際の笑顔が素敵すぎて、自分も光に溶けそう…(昇天?)
【 ボーナストラック~雑感 】
俳優さんのことにも触れますと、とても残念なのが、泰潤さんの放送がなかったこと。皆さんも同じ思いかと思います。とても素敵なMy楽をお迎えになったと、皆さんの記録を見せていただいて知りました。役者冥利ですよね~うらやましい限りです。劇団四季、というか劇団や舞台としては、俳優推しより演目=箱推しをもちろん推奨したいとは思うんですが、誰が演じるかでここまで違いが出ると初めて知った私としては、俳優さんにも目がいってしまいます。本当に様々大役を演じていらっしゃるベテランのハギーさん。私がお会いしたグレイはハギーさんでした。完璧すぎる御姿に息をするのも忘れて呼吸困難気味になったことすらあります(苦笑)。泰潤さんにもお目にかかりたかった…これが泉に浸かる(及川ミッチー語=沼にハマる)ということですね。
舞台と原作を行き来して気が付いたのですが、藤田先生作品は、「絶望」って割とキーワードなのでは、ということ。「白面の者」@うしおととらは人の絶望を大好物として肥大化し、禍々しい強大な力で世界を脅かす存在として君臨していたけれど、はじまりは小さな小さな、もやもやとした存在が「羨ましい」という妬みを持ち、人々の弱みや絶望を引き起こし高笑いで嘲笑する。鳴海の腕以外を失った勝@からくりサーカス3巻のラストは、唖然とした勝の絶望した表情に私は動けなくなり、この漫画は3巻ラストなんだ、と勝手に勘違いしたくらい…この漫画の最終巻は43巻です(笑)
かぐや姫が地球の上で土から何度も蘇り、発狂したかのような絶望の叫びをあげるコマは忘れもしません@月光条例。これらの「絶望」シーンを経て、最後すべてのマンガのラストが大きく丸く幸せに終わるのが藤田先生マンガ。少年漫画家だからね、と自らをおっしゃるその矜持は…痺れます。いつまでもお元気で、先生の作品をお待ちしています。
以上です。ご清聴ありがとうございました。
皆様のお気に召したらこれ幸い。
藤田先生と、その作品に関わる皆さん
劇団四季「ゴーストアンドレディ」制作から上演まで、関わられているすべての皆さんに限りなき愛と感謝を。本当にありがとうございました。
これからも私の、そして皆さんの生きる力であってください。
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